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【一本の価値と一群の価値】

先日、とあるカレンデュラの精油に出会った。

それは市販品ではなくてある人が自分の釜で蒸留したもの。
そして、その人が蒸留したラベンダーやレモングラスなど様々な植物の香りを聴き感じたことがある。
やはり、どの植物にしてもその土地土地の土のミネラルの多さや陽当たり、水の感じ(加圧水で育ったのか雨で育ったのかその土地の地盤は何土寄りなのか、風は強いか弱いか虫は多いか少ないか、もしくは肥料を与えているかいないか与えているとしたらどんなものを与えているかなど)で香りの印象はかなり変わってくる。

プロヴァンスで育ったラベンダーと北海道で育ったラベンダーは種類が同じだったとしても香りが違うのは当然だと私はずっと考えていた。

実際嗅ぎ比べしてみると違う。

人間だって同じ親から生まれた兄弟が遠く離れた土地で生活したら食べるものや水や陽の光の当たり方で体臭やそのほか諸々が変わってくるのは容易に想像出来る。
そして、逆にルーツが同じ人間は同じ印象を(顔や雰囲気などの言葉にならない部分)与えているのは皆が知っていることだ。

植物も然り。

こんなことが解ったからと言って何の役にも立たないかもしれないが十把一絡げにして考える時が良い時と個性というものを大切に考えた方が良い時があったら役に立つかもしれない。

一本の価値と一群の価値。

これはあくまでも生産者目線だけれど、大きな植物だったら一本で精油作れるけれど小さな草花1本では精油を作ることは出来ないから一群として捉えるのは、当然のことだ。

世界に一つしかないものの価値と一般的に流通出来るものの優秀さや秀逸さは
全く異なるものだ。

日本の中の私という人と世界の中の日本人という一群
どちらも”私”を形容していてどっちの”私”の方が価値があるとかないとかそういうことじゃないのと同じだ。

などと起き抜けにボーッと考えるイマジネーションの雨が降る朝。

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