かがみの孤城を読んだ感想
遅ればせながらかがみの孤城を読んだ。きっかけは、友人が辻村深月さんの本を読んだのを聞いて、更に昔に別の友人からかがみの孤城を勧められたのを思い出したからだ。
小説を読むのは何ヶ月ぶりだっただろうか。
ネタバレあります。
主人公は中学生の女の子。クラスの中心的女子グループに、意図せぬ恋愛関係の嫉妬を買ってしまう。それ以降攻撃的な処置を受け、とても登校できないほど状況は悪くなり、精神的に追い詰められる。両親は理解があるようで、普通になって欲しいと望む様子が隠せず時折諍いになる。逃げるように戻った自室の鏡が光出し、その中には自分と同様の状況に苦しむ仲間たちがいた。オオカミサマと名乗る少女が鍵を探し願いを叶えるゲームについて説明する。参加者の事情や共通点が見えていく中で・・・。
自分が今仕事関連で追い詰められいる状況だっただけに、小説なら救いがあるのだろうと思いながら、夜更かしして一気読みした。
何か明確な悪事を働かずとも、人は、どうしてこんなに行き詰まったんだろうと思える状況に入ることがある。
自分の場合の答えは、なんてことはない、ここが踏ん張りどきだぞ、ここは勝負どころだぞっていう場面で、60点のギリギリ及第点の作業量で臨み、うーん、まあ、いやでも、もっと出来ただろ、いやお疲れ様、うん、という空気を抱えて、抜けやミスが複数回起きて、お前はもうダメだ!!!と評価され、そこから先は、立っても座っても怒られ、頑張りが足りないしっかりしなさいサボるなの、抽象的な罵倒をいちいちメールに混ぜられ、そうなったらもうまともなコミュニケーションは成り立たない。質問もできない、叩き台を見せて相談も出来ない。レスポンスは遅くなるし挙句に提出するものの質も下がる。当然落胆と怒りを買い、明確にこいつはヤバいやつだと大手を振ってマウンティングされる。彼が指導者として問題があるのは間違いなく、パワハラとジャンル分けしていいレベルだと思う。期せずして、他の人にも余計なニュアンスをこめたメールを送ったことで、「彼はいつか正式に問題になると思うよ」と噂になるくらい、静かに爆発のゲージが溜まっている。
彼に大いに問題はあるし、どこかで彼の方にこそ、余程取り返しのつかないことが起きるだろう。ただ、彼がどんなに悲惨になろうとも、俺はそれを求めてこのに来たのではない。自分の、踏ん張れなかったあの時の、手を引っ込めてしまった自信のなさ。目の前の作業にまず手をつけるしかないのに、自分の努力にも能力にも自信がなく、ほら、やっぱり、俺はダメだった、と俺の推測と分析はなかなか悪くない、と、底が抜けるほど滑稽な安堵を得る。すぐにそれに気がついて、悲しくてたまらなくなる。愛おしい母の努力や、幼少期から若き時代の自分の健気な労力も、辛抱強く温かくしてくれた友人の優しさ、それら全部に目を向けず、鬱憤の捌け口に自分を使う上司の態度は然りであると寄っていく。そんな馬鹿な話があってたまるか。そんな奴の言葉に耳を傾けて落ち込んだりしょげるぐらいなら、俺の人生や時間は、助けられてきたこの命は、別のことに使いたい。
主人公の女の子が鏡の中と外を出入りしながら、苦しみの原風景に向き合い、解釈し、助けを借り、場面によって人を助け、次の段階へと進んでいくのは、嬉しい思いでもあり、自分もそうなるぞと励まされる思いでもあった。
いい本だと思う。さすが本屋大賞。