愛犬の死、ありがとう。またね。

実家にいる愛犬が他界したと連絡が入った。

17歳、長寿の柴犬だ。家の中でおむつをしながら過ごしていた。もう先は短いと言われていて、何度もあいに行っていた。

仕事の調整をつければ、すぐに帰れたかもしれない。

でも帰らなかった。亡くなった現実を見たくなかったのかもしれない。離れていれば、まだ生きている、そんな気持ちでいられるから。

でも、野辺送りするとの知らせと写真を見て、涙がこぼれた。
何で私は仕事を休んで、最後の顔を見に行かなかったんだろう。

いつもそうだ。本当にしたいことは何なのかよくわからない。
本当に自分がしたいことを我慢して、目の前のやらなければならないことを優先してしまう。

ああ、私は会いに行きたかったんだ。
土曜日は休みだから、もうお骨になっていると思うけれど、お線香をあげに行こうと思う。

夫にそう伝えながら涙が出た。ああ、悲しかったんだ。しっかりお別れをしないと整理がつかない、そうも思ったし、見送ってあげたかったとも思った。

予定を優先して、突発的な自分のしたいことを我慢するのはなぜか。

昔から我慢ばかりしてきたから、本当にしたいことがよくわからないのかもしれない。

今したいことは、悲しむことだ。だから、その感情を否定せずに悲しもう。

でも十分に生きてくれた。ありがとう。

私が最初に勤めた会社を辞めた時、涙を流していたら涙をなめてふいてくれた。私の孤独に、寄り添ってくれた。

たくさん私に愛をくれた。

道に落ちていた除草剤を口にくわえてきて、袋をかみ切ったら死んでしまうところだったけれど、なんとか母が自分の靴下で気をひいて除草剤をとって助かったこともあった。

私の手を噛んでケガをさせてから、あやまるようになめていたこともあった。

まむしにかまれて、サッカーボールみたいな顔になったこともあった。

家族以外は全員ほえるのに、私に子供がうまれたら、その子にはほえなかった。

目が見えなくなっても手をぺろぺろなめてにおいをかいで、確認してくれていた。

いっぱいいっぱいありがとう。

人生で本当に大事なものはなにか。

愛する人、動物、ものと過ごすこと、その時間を大事にすること、その別れを大切にすること。

それでも、日々の仕事や関わりの中で出会う人がまた、同じように大事な人になっていくこともある。だから目の前の人や仕事も大切にしていい。

明日一日仕事を頑張って、会いに行こう。

本当にありがとう。またねって言おう。