『卒業』
上手く思い出せないが、きっと色々あって、本当に色々あって、色々な選択肢もあって。わたしは自殺を選んだ。
死んだ先に広がっていたのは一面のワスレナグサとカスミソウ。ただ夢を見ているだけの様な感覚に、少し拍子抜けする。
特に理由もなく呆けていると、見つめる方向からカランコロンとご機嫌な音が近づいてくる。しばらくすると、光沢のある白いワイシャツを膝まで着た少年が小走りでこちらに向かって来るのが見えた。琥珀色のクセ毛が風に揺れて、どこからかアーモンドの良い香りが広がった。
私の目の前まで来ると、彼は笑顔で話し始める。
「天界一同、あなたにお逢いするのをとても楽しみにしておりました。ご気分など、具合はいかがですか?」
「はあ。」
「それは良かった。では、ダラダラ時間をかけても仕方がないので、早速自己紹介をしますね。名前はモルテルと言います。役職は、天界の死神です。」
「死神。死神にしてはちょっと、、なんか、可愛すぎませんか?」
彼は不服そうに口を尖らせてみせる。
「下界では死をかなりおぞましいものとして連想しますが、実際はもっと、シンプルな仕組みになっています。詳しいことは省きますが、生と死・あの世とこの世・あなたとぼくの狭間にそこまで深い溝はない、ということです。全てはセカイの一貫なのです。だから、ここは所謂天国でもなければ地獄でもなく、ぼくは天使でもなければ悪魔でもありません。」
わたしは怪訝な顔をしていたのだろう。モルテルは小さく溜息をついて、話を続けた。
「今日ここに来てもらったのは、他でもない。あなたの卒業式を行うためです。」
「卒業式?」
「はい。あなたは人間界にて非常に優秀な成績を残しましたので、本日首席として一度人間を卒業します。」
モルテルはニコニコしながら小さく拍手をする。
「あの、訳が分からないのですが、人違いだと思います。調べたりしたら分かるのかもしれないですけど、わたしは自殺を選んだ様な人間で、決してそんな優秀な、、」
「いえ、人違いではありません。ぼくたちはあなたのことを良く知っています。人間というのは本来、すごく弱い生き物です。下界に生かされる生命は、少なからず皆それぞれ強みと弱みを持ちますが、人間はその中でも、他より少し脆く、愚かなところがあるのが特徴です。知恵と自己愛、防衛本能に富み、自分の身に危険を感じればイチ早く逃げ、自己の安全を何より優先するものです。しかし、あなたは違いました。自己犠牲を要する場面でも、当たり前に他人を想い、躊躇なく他人を優先する選択だけをしながら人生を歩んできたのです。そんなあなたの功績が天界の目に留まり、今回ここにお呼びたてする運びとなりました。」
元々心臓があった場所で何かが脈を打ち、解けていく。モルテルは続ける。
「セカイの運命と巡り方については、天界が管理しています。しかし、あなたについては、天界一同絶大な信頼を置いており、あなたの運命とその巡り方については、あなたにお任せし、1番幸福な選択を今後お選び頂くことにしたいと思ったのです。ですので、下界からあなたを一度離してしまうこととなりましたが、全ては今日ここで一度人間を卒業し、あなたの魂をあなたに授けるためなのです。」
頭を必死で整理しようとしていると、重くて温かい布がわたしを強く包み込んだ。
「あまり深く考えなくて大丈夫です。穏やかに、心の準備を整えてください。」
「わたし…幸せになれますか。」
「大丈夫。あなたなら。あなただから、大丈夫です。」
妙に芯の通ったその声と言葉にわたしは胸を撫で下ろし、深呼吸をしながら目をつぶると、シュルっと紙を取り出す音がした。
完
最愛なる君の幸せを願って。
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