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雑誌を侮ってはいけない/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第三回

 むかしむかし、『ぴあ』というエンタメ情報誌がありました。インターネットがなかった時代、若者は映画や観劇、レジャーの情報を『ぴあ』から得ていたのです。創刊は一九七二年(当時は月刊。後に隔週、週刊を繰り返す)。
 あるとき僕は国立国会図書館で七六年当時の『ぴあ』(一五〇円。当時は消費税はありません)から年代を追って閲覧してみました。そしてその誌面に充満する膨大な情報量に圧倒されます。現在の洗練されたレイアウトではなく、ましてやカラーではない。ただただビッシリと極小の文字が誌面を黒く覆う情報。「ぴあフェスティバル」の告知では各催し物が手書きのイラストで紹介されており(「パンチDEデート」なるものも)、ほとんど学祭のノリです。創業者が学生時代の七二年に創刊させたという雑誌にはその面影が色濃く出ています。
裏表紙には、夕陽をバックにアフリカの人が地面に頭を埋められている写真があり当時流行の残酷ショック映画『グレートハンティング2』の告知が。当時の突き抜けた勢いを感じずにいられませんね。
 また、一九七八年の『ぴあ』を見てみます。この年はあの『スターウォーズ』第一作が公開になりますが、当時の誌面を見ても特に大きな扱いはなく拍子抜けでした。
しかし八〇年代の誌面になると大きな変化が現れます。広告のデザインです。そうです、みなSFチックなメカ(っぽい)のイラストに変わっていきます。遊園地の「絶叫コークスクリュー」という広告はライドのマシンが宇宙船のようなピカピカしたイラストに、背景に描かれたビル群もピカピカした未来都市のイラスト。そこに『YMO』(イエロー・マジック・オーケストラ。細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏によるテクノグループ。七八年結成)が登場したものだから、当時の『ぴあ』には「未来未来未来」な空気が覆っていたのでした。
『スターウォーズ』以後のSFブームというのがいかに凄かったのかと話には聞いていましたが、過去の雑誌を遡るとタイムスリップしたように当時の空気に触れることができ興奮いたしました。ちなみに八五年には『つくば科学万博』が開催され、未来ブームに拍車がかかります。
 当時の誌面から窺えるのは流行だけではありません。八〇年の一〇〇号記念「ぴあルートMAP」には大宮から北は存在してません。過去を遡っても栃木のトの字もありません。翌年の宇都宮は東京テアトルが宇都宮テアトルという映画館をオリオン通りに開業し、オープニングを『フラッシュゴードン』で飾った時代です。同年には福島県の聚楽館が〝オスカー〟〝アーバン〟をオープンしました。当時の宇都宮には他に〝第一東宝〟〝ニュー東宝〟や、東映系の〝スカラ座〟、松竹系の〝ミヤマス座〟、洋画系の〝メトロ座〟、成人映画系から後に東映系となる〝ヒカリ座〟など映画の都であったにも関わらずです。よく調べてみると、かろうじて七八年五月号の「MUSICスポット」には宇都宮の「仮面館」というお店が掲載されており嬉しかったのですが栃木が「板木」と誤植され、シャクに触った次第であります。このように当時の東京の他地域への意識の薄さも感じられます。
 現在のポータルサイトの原型であり、学生起業のはしりであった『ぴあ』。「娯楽」というものを当時の人がどれだけ強烈に欲していたかを窺い知ることができる貴重な資料でした。
雑誌は古くなるとゴミでしかないと侮ってはいけないのです。

2017年1月 月刊「twin 2月号」掲載



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