
イーストウッドの境地に達しないとできない映画『クライ・マッチョ』
イーストウッドの監督主演作品としては2018年の『運び屋』以来、3年ぶりの文字通り自作自演映画なんですが、それ以前では『グラン・トリノ』(08)まで遡ります。2008年以降、年齢的にもハリウッドで演じられる役がないことから俳優業引退宣言をしたイーストウッドはその10年後に久々の監督主演で復活をしたのが『運び屋』だったわけですが、それからたった3年後にまた自作自演作品ですよ。『クライ・マッチョ』はイーストウッド演じる老カウボーイが、世話になった男の13歳の息子をメキシコからテキサスへ連れて帰る話ですが、まあ驚くほどそれだけの映画なんですね。ケレン味もツイストの利いた脚本でもない。けどイーストウッド映画は『アメリカン・スナイパー』(14)あたりからこの肩肘を張らない「作品作り」になっている印象で、題材さえあれば、なんちゅうか、「手なり」(麻雀で特に深く考えずにアガるための打ちかた)で映画を作ってる感じ。そこには観客や映画界へなにかを刻み付けるような作品を目指すのではなく、ただただ「映画作り」をしたいための「映画」のよう。ある意味イーストウッドの境地に達しないとできない映画作りなんだと思うんです。もちろん本作の細部に目を向ければ老人と少年を描く際のお約束であったなんらかの「継承」が、それまでとは逆に少年から老人へと「マッチョ」が渡されることなどは、面白い視点だと思いますし、動物に優しく詳しいイーストウッドという役柄では『荒野の用心棒で』(64)で「俺のラバに謝れ」とセリフを吐いたイーストウッドが思い出されたりと、西部劇セルフパロディを探してみるのも面白い。
とはいえ、エンドクレジットが現れて「え?これで終わり?」と驚きの映画でありまして、これ評論家はどのように解説や評論をしているんだろうということが、スタッフロールを眺めながら第一に思ったことですね。
案の定、パンフレットでは評論家のほとんどがイーストウッドの過去作との関連性ばかりになっていて、「まあ、そこしか語るところはないだろうな」と同情を禁じ得ないのでありました。
「許されざる者」「ミスティック・リバー」「アメリカン・スナイパー」など数々の名作を生み出してきたクリント・イーストウッドが監督・製作・主演を務め、落ちぶれた元ロデオスターの男が、親の愛を知らない少年とともにメキシコを旅する中で「本当の強さ」の新たな価値観に目覚めていく姿を描いたヒューマンドラマ。1975年に発刊されたN・リチャード・ナッシュによる小説を映画化した。かつて数々の賞を獲得し、ロデオ界のスターとして一世を風靡したマイク・マイロだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれていき、家族も離散。いまは競走馬の種付けで細々とひとり、暮らしていた。そんなある日、マイクは元の雇い主からメキシコにいる彼の息子ラフォを誘拐して連れてくるよう依頼される。親の愛を知らない生意気な不良少年のラフォを連れてメキシコからアメリカ国境を目指すことになったマイクだったが、その旅路には予想外の困難や出会いが待ち受けていた。
2021年製作/104分/アメリカ
原題:Cry Macho
配給:ワーナー・ブラザース映画

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