
マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
「ハーバード白熱教室」でも知られる人気講義を手がける、政治哲学者のマイケル・サンデル教授のベストセラー、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」。この読書会を始めて以来6冊目にして、最もヘビーな読書体験だった。
努力して高い能力を身につけた者が、社会的成功とその報酬を手にする。こうした「能力主義(メリトクラシー)」は一見、平等に思える。だが、本当にそうだろうか? ハーバード大学の学生の3 分の2 は、所得分布で上位5 分の1 にあたる家庭の出身だ――。「やればできる」という言葉に覆い隠される深刻な格差を明るみに出し、現代社会の「正義」と「人間の尊厳」を根本から問う。
扱われる内容そのものの重厚さと翻訳された表現の難解さのダブルパンチで、20-30ページずつ読むと毎回へとへとに。5月から読み始めて、8月時点でまだ半分だったときは絶望した。途中で「米国大統領選までに読み終わろう!」と目標を定め、なんとか11月に読み終わった。「2024年に成し遂げたこと」としてわたしたち3人の記憶に残るような達成感があった。
本書の軸として語られるのは、「なぜトランプ支持層がここまで拡大し、オバマやヒラリー・クリントンは敗北したのか?」ということである。
一つの答えとして提示されるのは、平たくいえば「トランプが支持されているというより、エリートが嫌われている」ということである。社会に定着した能力主義が勝者と敗者を定義して分断を生み、勝者は自分たちの成功を「自らの努力に対する正当な報い」であると考え、敗者に自信を喪失させた。そんな勝者たちのおごりと視野の狭さがポピュリストにつけこまれたのだ。
本書を読みながら思い出したのは、5年前の東京大学入学式での上野千鶴子さんの祝辞だ。「素晴らしい内容だ」とSNSで話題になっていた。いわゆる「エリート」に向けた、自分の能力に対しておごらず、社会に還元せよというメッセージだ。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
(中略)
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
わたしは本書のなかでいうと所謂ポピュリストに敵対視されるリベラル派で、国公立大学に進学し、ホワイトカラーとして定職を得て、能力主義の恩恵を受けてきた側だという自認がある。
ただ、「自分は運が良かった」という認識と、それによって得られた能力を社会に貢献したいという思いをしっかりと持てているつもりだった。もっと言えば、「安易に『頑張れば報われる』と思っているわけじゃない、そんな謙虚さに欠けたエリートとは違う」と思っていた。
わたしは先天性の障害で知的障害・自閉症をもつ姉がいる。姉がうまく話せないのも計算ができないもの姉の努力が足りないからではないこと、幼少期から誰よりもわかっていた。
また、小学校から高校まで公立の学校で過ごす中で、様々な家庭環境の子がクラスにおり、自宅で落ち着いて宿題やテスト勉強ができる環境があることや、高校・大学への進学を親族に応援してもらえることが当たり前ではないということもリアリティをもって感じる機会があった。
そして今は、障害福祉サービスを提供する企業で働いている。正直に言って、給与水準が高い業界ではないが、社会貢献性を求めてこの会社を選んで、誇りとやりがいをもって仕事をしている。ただ、同じ職種・仕事内容で、業界にこだわらずに転職したらもっと給料上がるんだろうなと時折思うし、自分の誇りを社会に搾取されているようにも感じることがある。
サンデル教授はそんなわたしにボディブローを打ち込んでくる。「恵まれない人々への恩着せがましい態度が、彼らを援助しようという立場に暗黙のうちに含まれている」(P214)場合があると指摘する。
大卒ホワイトカラーの私が障害のある方を対象にしたサービスに携わるうえで、恵まれない人々への恩着せがましい態度がないと言い切れるのか?
「あえてこの業界を選んでいる」という気持ち自体がおごりなのではないか?
この仕事をするうえでは、常にそういう矛盾や違和感から逃れられない。
ではわたしはどういう態度をとるのが正解なのか?サンデル教授は明確な答えをくれるわけではない。ただ、そういうおごりに自覚的になることと、そもそも福祉業界の給与水準が低いのはなぜなのか、社会の構造に対して問いを立て続けることだけが、今できることなのだと思う。
この文章を書いた人:あさえ
一橋大学社会学部2009年入学、2014年卒業。在学中は安川一ゼミ、鈴木直文ゼミに在籍。法人営業、経営コンサルタントを経て、現在はベンチャー企業の事業企画・マーケティング職。