検閲は内面化されたとき完成する。
昨日、名古屋での不自由展が中止され再開されるまでの話を聞いた。非常に勉強になった。今、国家による検閲が危険水位を超えていると実感した。
不自由展が中止されたとき、海外の画家たちは、行政の検閲に反対してともに立ち上がり、作品を封印したり変えたりして、抵抗したという話も聞いた。しかしながら驚くべきことに、日本の画家たちは、2人しか反対の声をあげなかったという。検閲という、憲法違反であり、表現の自由を踏みにじる行政機関の暴挙に無抵抗のままであった日本の画家。監視国家はすでに構築済みであったのか。
講師の言葉は、タイトルの通り、検閲は内面化されたときに完成する、であった。このくらいのことで戦えなければ、今後、何もすることができないと語ったという海外の画家たちの言葉、肝に銘じたい。