なんかずれてへん?
って、私のおやじギャグの事じゃありませんからね!(笑)
私のおやじギャグは、兵法の孫氏顔負けの、
天时(天の時) 地利(地の利) 人和(人の和)
が、完璧に…
揃っていないからこそうけるんですよ!
(哀愁漂う自己肯定感 ( ノД`)シクシク… )
で、話を本題に戻して…
さんざん聴いた後から、有名な曲と知ったのが素人の悲しさですが、好きでよく聴いている曲です。
ピアノを弾いている方は、ダニエル・バレンボイムさんと言って…
(酔っぱらっているので、簡潔に…)
超有名な方です!(無知♡)
この曲の二楽章は、私の場合は、これを聴けばすぐに寝れる!
(これが無くても、いつでもすぐ寝てるやろ!)
ようなメロディーで、多分多くの方にとって、「いつかどこかで聴いたことがある曲」だと思います。
また、この曲の二楽章は、モーツァルトの映画「アマデウス」の最初の方に使われているのですが。。。
私は個人的に、この曲の持つやさしさとは裏腹に、すごく残酷な使われ方をしていると思いました。
以前「アマデウス」を見た記憶(+今の「ハイボール」)をたどって述べさせて頂くので、間違いが(絶対)あるかもしれませんが、(日本語正しい?)…
当時「どうあがいても勝てない」ほどのライバルであったモーツァルトを追い出し、宮廷音楽家としての地位を確立したサリエリ。
アマデウスは、そのサリエリの回顧録という形で始まります。
確か、年老いて車いすに乗っているサリエリは、養老院のような施設で、介添えの人に押されて登場します。
勿論、これは映画の効果を狙った選曲だと思うのですが、その時に流れていたのがこのピアノコンチェルト20番の二楽章でした。
どうあがいても、作曲と言う実力の面で勝てなかったサリエリが、老後車いすで押されて出てくる時の曲が、モーツァルトのこんな優しい曲。
勝ちたくても生涯勝てなかった、ライバルの曲に、
「は~い、サリエリさん、お昼の時間ですよ~♡」
と、暖かく包んでもらうような、この屈辱!
そしてこの直後。
勿論、映画の随所に、「サリエリ叩き」は沢山あるのですが、この直後にサリエリが介護士の人に、「この曲を知っているか」と、自身で作曲した曲を口ずさみます。しかし、介護士の人は、「全く分からない」という表情を見せます。
そこでサリエリは、「じゃあ、これならどうだ?」と言って、アイネ・クライネ・ナハトムジークを途中まで口ずさんだところ、その介護士の人が途中から自分も楽しく口ずさみ始め、「知ってる!モーツァルト!」と叫びます。
老い先短い老人、これ以上いじめたらんでもええやんか!
と言う感じがしましたが、ひょっとしたら、生前のモーツァルトも、同じような屈辱を味わっていたかもしれません。
かどうかは、専門家の見解に…
(くどくてすみません)
で、この曲の一楽章。四分の四拍子で、バイオリンとビオラが、頭八分音符、その後はしばらくずっと四分音符で、八分音符の長さ分ずれたかたちで、「ンタータータータータ…」と言うリズムで始まります。
スコアを見ずに何度も聞くと、「ずれてる?」と思ってしまったのですが、これって、シンコペーションって言うんですか?
モーツァルトがよく使っている技法のひとつだと思うのですが、前に前にテンポよく進んでいる感じがします。これが長調だったら良いのですが、この曲ニ短調なので、暗いままテンポよく進むという事は、その先にはきっと!
という手前の、12小節目から16小節目までの出だしオーボエ、その後フルート、バイオリン、ビオラがかぶせてきている、このたった五小節のメロディーにどっぷりはまっています。
言葉で表現するのが相変わらず難しいのですが、
避けて通ることは出来ない終焉へ向かう前の、悲しみを帯びた慰めの清涼感
みたいな感じがします。
しかし、何故こんな感情にハマるんでしょうね?(笑)
【お礼】
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