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詩、歌、そして朗読

詩歌は私にとって、うまく表現できない感覚を代弁してくれる存在、あるいは、文字や音から生まれるイメージによって楽しませてくれる存在でした。

好きな詩人の一人は故・川崎洋さん。「詩は たぶん」という短い詩にある

不完全な存在である人間に
やさしくうなずくもの

という一節に心が救われたことがあります。川崎さんは言葉の表現そのものについてもいくつか詩を書かれましたが、やさしくうなずきながら、何か切実なことを訴えていたように感じます。

前回、短歌づくりを早々と休みたくなったことを書きました。

ところが、結社(塔)の一年目の欄が終わるという月に、ケアレスミスを犯して三度目の欠詠をしてしまったのです。
しかも同じ時期に、数十MBの画像が入ったタブレットのフォルダが破損。幸い、他の人やSNSに送った写真は残っていました。

過去の記録の大切さを実感し、やっぱり体験を三十一文字で残し続けていこう、と思いました。

そして、正直にやりたいこと、に気づきました。
私はいわゆる詩人・歌人ではない。だけど、よい詩・よい歌にたくさん出会い、それを人と共有したい。

一つの手段は「朗読」ではないかと思ったのです。

人前で読むこと、歌うことには慣れていて、今も活動しているので、自分にもできるような気がします。そして、それが役立つ場所は少なからずあるはず。
これもアートとしてというより、生活に寄り添うものとして、いずれ行動を起こそうと考えています。

(ヘッダー写真は群馬県立土屋文明記念文学館にある詩碑。山村暮鳥「風景」)