子どもが自立できる条件ってなんだろう?
私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。
バレーの指導現場で気づいたことや、自分がバレーで育って来て経験してきたことや、子育てしていて感じたことなどこのnoteに書き留めていこうと思っています。
前回のnoteで、子どもが自信を持って自立するには?ということに触れました。
私には年子の妹がいて、物心ついた頃には祖父母が親代わりのように私のそばにいました。
父が婿養子だったため、一緒に住んでいたのは母の実の両親でした。
両親は私を近くに置きたいと思っていたようですが、現実は難しかったようでした。
ただ私にとって祖父母は甘やかしてくれる居心地がいい存在でした。
ただ、その居心地の良さも長くは続きませんでした。
私が5歳の頃に父が八郎潟干拓地モデル農村の大潟村に入植することになったからです。
跡取りだった母はかなり悩んだらしいですが、私たちを育てるためにと祖父母の元を離れ父と一緒に大潟村に引っ越しました。
私の記憶の中では、ある日突然一緒に寝ていた親代わりの祖父母から離され、知らない家に連れて行かれて泣きながら夜を過ごした寂しかった事だけが思い出されます。風が強い冬の日のことでした。
両親にしてみれば、ようやく私を手元に置けると思っていたのでしょうが、私にとってはただただ寂しかった。
大潟村に引っ越してからは弟も産まれて、さらに親に甘えられない子どもになってしまいました。
母は言葉がキツイこともあり、私はいつも否定の言葉を浴びせられていました。
少しでも風邪をひくと「また風邪引いて!本当にお前は体が弱くて困ったもんだ。」
また少しでも泣いて学校から帰ってくると「また泣いてるのか!泣き虫!」
友だちと遊ばなければ「また仲間はずれにされて!」
今自分が親になってようやく分かったのは、母の言葉は愛情の裏返しでした。
不器用な母は否定の言葉で私を愛してくれていました。
(この写真は母と私です。これを見てたら母がどれだけ私を愛してくれていたか改めてよくわかりました。)
まぁ、当時は全く分かっていませんでしたけどね。
当然ほとんど褒められたこともなく、否定的な言葉を言われ続けた子が自信を持てるはずもなく…。
その自信が持てないまま親元を離れて暮らすことになったんです。
何をしていても不安で、何も考えられず、ただ怯えていて、バレー部の同期たちにも何を喋ったらいいのかさえわからなくなっていました。
そして気がつけばいつもみんなの輪から離れていました。
私はこの後様々な経験をさせてもらって今に至るのですが、ある程度自分の考えというものをしっかり持てるようになるまで人よりも時間がかかったと思います。
本来子どもって、好奇心旺盛で失敗しながらたくさんのことを学んでいきますね。
そしてそれを身近な人たちに受け入れてもらったり肯定してもらって初めて自信が持てると思うんです。
子どもが自立するための絶対的な条件は、親に無条件に愛されていると実感ができて、たとえ失敗したとしても確実に見守られているという安心感があり、自分を肯定できるところからだと思います。
ちなみに今は両親には言いたいことは遠慮なく言いますし、昔はこう思っていたんだよっていうことはきちんと伝えています。
私、両親が大好きですし、両親も私のことをとてつもなく愛してくれています…感謝感謝!
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