小松香奈子

サッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできたバレーボールの育成のためのクラブの代表兼監督です。 バレーボールを通して秋田の子どもたちの考える力や人間力向上を目指しています。 今まで秋田になかったことにチャレンジ中です。

小松香奈子

サッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできたバレーボールの育成のためのクラブの代表兼監督です。 バレーボールを通して秋田の子どもたちの考える力や人間力向上を目指しています。 今まで秋田になかったことにチャレンジ中です。

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私なんで体育嫌いになったんだっけ⁈

私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 私はバレーを始めてから44年になり、ある程度のレベルでバレーをやってきて、一応体育大学も出ています。 にもかかわらず以前にも書いてましたが、実は私、小学生の頃体育が大嫌いでした。 まず、鉄棒が苦手で逆上がりができない、体が硬くてマット運動が苦手、走るのもそれほど速くなく、持久走なんて苦しいからビリじゃなきゃいいか。 敵味方が入り乱れてコンタクトがあるバスケも怖いし

    • 【子どもたちの発想を伸ばしていくために私たち大人ができること】

      私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。 ________________ 今日の小学生のバレースクール、2対2のゲームをしてました。 男子ペア5組、女子ペア3組の8組できたので、4組ずつに分けてボールが落ちたら同じコート側の4組で順番に交代ということに。 するとまだ正直それほど上手ではないAくんが、ちょこちょこと私の方に来て、

      • 【シングルマザーの子どもたちの権利を考える】

        先日、とあるシングルマザーの方の相談に乗ってたんですが…。 自分はシングルなんだから、苦労せずに子どもに楽しい思いをさせる事にちょっと罪悪感を感じるって言ってて…。 だから、子どもがやりたいことがあってもある程度我慢させなきゃいけないと思ってるって。 いや、それは違うと私は思います。 親の事情で子どもにやりたい事を我慢させてると、だんだん「大丈夫です」という遠慮して空気を読む言葉が口癖になるし、いずれそれが『あきらめ』という感情になってしまうのではないかと思います。

        • バレーが大好きになった訳

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。 ________________ さて、前回までのお話を通してお分かりかと思いますが、もう二度とバレーには関わるまいと心に決めるまで、私は様々な経験をしてきました。 大学を卒業して秋田に戻り、普通にお勤めしてバレーとは全く無縁の生活をしていたある日、高校時代のとっても怖かった先輩から突然電

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          【大会で気付かされたこと】

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。 ________________ 週末の中学生の大会、準決勝の3セット目の終盤(3セット目は15点先取)。 13-13と並んだ時点で怪我人が出てしまい(フォワードのスパイカー)、急遽経験の浅い1年生を交代出場させました。 (実は今大会は元々インフルエンザに罹患した選手がいて、スタメンが1

          【大会で気付かされたこと】

          大学バレーという経験 その5

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。 前回までのお話では、大学バレーという当時は厳しかった上下関係の中で、いかにして自分という存在を生き残らせられるか、勝ち残って結果を出していくことの喜びなどを書きました。 そして私は3年生となり、いよいよ上級生という立場になりました。 それまで先輩たちにリードしてもらっていた立場とは変わり

          大学バレーという経験 その5

          大学バレーという経験 その4

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田でバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteには私がバレーボールを通して経験して感じてきたことや子育てで学んだことなどを綴っています。 前回のnoteではキツイ上下関係からバレーを辞めようとした経緯や、そこから恩師から受け取った言葉について触れました。 私の話は35年以上前の昭和の時代のお話です。 現在の大学生たちはそういう雰囲気は全くなく、下級生たちがのびのびとバレーをやる環境になっています。 本当に良い時代になりまし

          大学バレーという経験 その4

          大学バレーという経験 その3

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の中の育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 自分のバレーボールで得た経験や、子育て、クラブでの指導をもとに気づいたことなどを綴っています。 先輩後輩という上下関係が厳しかった昭和の時代。 私の頃はまだまだ厳しさが残っていて、特にうちの大学は厳しかったように感じてました。 (注)現在ではもう理不尽な上下関係がなくなっているのは当然のことで、先日も大学の練習を見に行ったら、私たちの時代とは違い、下級生たちの明るい表情

          大学バレーという経験 その3

          大学バレーという経験 その2

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の中の育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 自分のバレーボールで得た経験や、子育て、クラブでの指導をもとに気づいたことなどを綴っています。 前回は大学バレーという世界に飛び込んで、毎日が苦痛だったというお話と、チャンスが巡ってきた時に怪我をしたところまでのお話を書きました。 その後怪我のために戦線離脱したということもあり、ユニバの話もなくなりました。結果的に私はチャンスを掴み損ねてしまいました。 当時は選ばれなか

          大学バレーという経験 その2

          大学バレーという経験 その1

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 noteにはバレーボールを通して経験したことや、子育てやバレーボールの指導を通して感じたことなどを綴っています。 ________________ 高校3年生の秋に国体を終えて、その後すぐに大学の推薦入試を受けて、自分の感覚的には割とあっさり大学が決まりました。 以前にも書きましたが、そこに自分の意思はなく、大人同士で勝手に決められていました。 特に私の父は私を

          大学バレーという経験 その1

          私にとっての高校バレー その2

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 以前のnoteで高校バレーについて書きました。 あの大逆転負けだけで私の高校バレーが終わったわけではありませんが、秋田県内では必ず決勝までは勝ち進んでいました。 一度、準決勝で名門S高校と対戦した時のこと。 それまでその高校には負けたことがなかったのに、エースである私の不調からか危うく負けそうになっていました。 それまでの私なら自分で考えることができずにそのま

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          子どもが自立できる条件ってなんだろう?

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 バレーの指導現場で気づいたことや、自分がバレーで育って来て経験してきたことや、子育てしていて感じたことなどこのnoteに書き留めていこうと思っています。 前回のnoteで、子どもが自信を持って自立するには?ということに触れました。 私には年子の妹がいて、物心ついた頃には祖父母が親代わりのように私のそばにいました。 父が婿養子だったため、一緒に住んでいたのは母の実

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          私にとっての高校バレー

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 バレーの指導現場で気づいたや、自分がバレーで育って来て経験したことや、子育てしていて感じたことなどこのnoteに書き留めていこうと思っています。 大人たちに進学先を決められてもそれに対してなんの反論もしなかった私は、中学卒業後は親元を離れ、バレー強豪校である角館南高校に入学しました。 当時、春高バレーは3月に開催されていて、入学直前に先輩たちをテレビで観ていました

          私にとっての高校バレー

          私がバレーを始めたきっかけ

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 バレーの指導現場で気づいたや、自分がバレーで育って来て経験したことや、子育てしていて感じたことなどこのnoteに書き留めていこうと思っています。 私は秋田の男鹿市というところで生まれました。5歳の頃に父が八郎潟干拓地にできたモデル農村の農家として入植し、大潟村で育ちました。 幼少期の私はどちらかというと体が弱く、消極的でいつも人の輪に入れず、あまり体を動かさないで

          私がバレーを始めたきっかけ

          大学の同期に会った時のこと

          私はサッカーJ2ブラウブリッツ秋田の傘下にできた育成のためのバレーボールクラブの代表兼指導者をしています。 バレーの指導現場で気づいたことなどその都度このnoteに書き留めていこうと思っています。 先日の大学の恩師の祝賀会に行って、同期たちと改めて当時の話をゆっくりとする時間がありました。 中学生の時からバレーを始めて、いつも怒られながら、時には殴られながらバレーをしていたにも関わらず、辞めることもできないまま体育大学に進学した私。 大学時代の4年間で本当にバレーが大嫌

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