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自分の人生を振り返る(小学生編)

前回の続きから。

妹が育成コースに入るのをきっかけに小学2年から始まった僕の競泳人生。

1年全く泳いでおらず最初に育成コースの練習に行った日、体が動かなくてきつくてきつくて15分で練習をギブアップしてしまったことをなぜか鮮明に今でも覚えてる。一番端の6コースで泳いでて、窓が開いていた。

前回も書いたのだが僕は本当に体が小さかった。だいたいみんなより3年ほど成長が遅れていた。小学校2年で競泳を始めていたけど、3年生の時はまだ小学校の水泳大会で「水泳を習ったことがある運動神経がいい子」に負ける程度だった。それでも水泳が好きだった。

ただ心肺機能は鍛えられていたんだと思う。小学校のマラソン大会の順位は1年生から6年生まで順に棄権、9位、1位、2位、3位、2位という順番だった。(僕は数字に対する執着が異常に強くて、色んな数字を覚えている)

育成に入ってすぐ、バタフライの選手として選手生活をスタートした。次に記憶があるのは小学校4年生。初めて夏の長水路の大会で50mバタフライで39秒9で泳いだ。市民大会で外プールだった。40秒を切れてすごく嬉しかった。小学校が学校対抗戦で優勝したんだと思う。先生に褒められて嬉しかった。

その後もJ Oには全く縁がない生活。JSSグループの全国大会に出るのが精一杯だった。速くはなかったけれど、練習は好きだった。試合は速くないけど練習はそれなりにみんなと泳げる子だった。

小学校5年生の時に初めてJSSの全国大会に出た。兵庫の宝塚市で開催で、「遠い地での試合に出れる」ということだけでも嬉しかった。その大会には同じJSSでオリンピアンの井本直歩子さんがいて、生まれて初めてサインをもらった。この大会に出られると帰りに鶴橋で焼肉をコーチと毎回食べて帰っていた。初めての全国大会は全てが新鮮だった。

小学校を卒業した。卒業式中に鳩が体育館に紛れ込んできたのを覚えている。そしてこの日地下鉄サリン事件が起きた。子供ながらに何かとんでもないことが起きたのだと思った。

自分で言うのもなんだけど、小学校まではいい子だった。勉強もできた。スポーツもある程度できた。授業で発言もする子だった。学級委員や生徒会もやった。

でも中学に入ると、小学校で仲良かった子が荒れてしまい、彼らと対立することになった。地元の祭りでスイミングの友達と遊んでいた時に、その子たちに絡まれたことがあった。20人ぐらいに囲まれた。2時間ぐらい話し合ってたと思う。結局殴ったら殴られたりと言うことは起きなかったが、その頃から僕の性格が少し変わったと親が言っていた。仲良かった友達が荒れてしまい、その子達に絡まれると言う経験がかなりショックだった気がする。その後も彼らとあまりゆっくり話す機会がないが、いつかゆっくり酒でも飲みながら昔話をしたいと思う。

この頃から物事を斜めに見るようになった気がする。

それが今でも尾を引いているのかもしれない。




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