18歳、ドラえもん映画を見る
私は牡蠣うめえと申すのですが、好物はAmazonギフト券なのです。いやしいですね、こんな賞品に釣られてまた文章を書いていますよ、しくしく。
こんな時には、私が一番泣いた映画の話でもしましょう。
『STAND BY MEドラえもん』
この題名を出すと、お?なんだなんだ?となる方も多いんじゃないでしょうか。
ドラえもんはご存知として、この映画はドラえもんの初3DCG作品となっています。
ドラ泣きのキャッチコピーから連想される感動ポルノの香り。自発的感情よりも、「泣かされる」という感じです。
なんか、嫌でしょう。
ドラえもんって、確かに胸を打つ、涙が流れるようなエピソードはあるのですが、それはなにか、やさしい暖かさが心を包むもので、場外へ押し切るような「感動」とは違うわけです。正直、今はもう一度見たいとは思わない。
でも実は、初めて劇場でそれを見たとき、そんなことは一切思わなかったんです。
今でも覚えています。小さな妹と一緒にシアターから出て、迎えに来た母に「よかった」と一言言ったのを。目は泣きつかれてトロンとしていました。
私は大好きなドラえもんの映画を見れて、本当に嬉しかったのです。
私は小学校低学年だったと思います。作品の良し悪しもわからない子供でした。
私は帰り道の本屋で映画の小説版をねだり、買ってもらいました。今もそれは私の部屋の本棚に収まっています。
さて、子供の頃の私は、このスタンドバイミーを心から良い作品だと思っていたわけですが、今は違います。先程も言ったように、もう見たくない。
しかし、どうも子供時代の感覚が間違っているとも言いにくいのです。
私は思春期なので、時たま大人と子供の境にいると感じます。大人ならどうするだろうと考えることが多くなって来ていても、子供の頃に持っていた狭い視野が恋しくなる時もあります。
私達はわからないことが多いと、世界に対する想像や希望が膨らむのです。子供はそういう特権を持っています。
だから、子供が全くおろかでどうしようもない生き物である、という言葉には賛同できません。広い視野を持つことが絶対的に良いことではありませんから。
と考えていて、映画レビューでよく聞くあの言葉を思い出しましたよ。
「歳を重ねて、この映画の意味がわかってきた」
私の場合、歳を重ねて映画の酷さがわかってきた、というふうになるのでしょうか、それとも
歳を重ねて、この映画のおもしろさがわからなくなった
のでしょうか…
私はいい年して毎年、ドラえもんの劇場版を見に行きます。大体両側の席には親子連れが座っていて、子供は上映中笑ったり、叫んだり、泣いたりしています。私は無言で原作改変に怒り、演出がどうの、ゲスト声優がどうのとケチをつけています。
どうやらまた何かを失ってしまったようで、大人になっていくというのは本当に悲しいですね。
思い出エピソードのお題なのに、また自分の妄想をうんうんと書いてしまいました…すみません。
お題に沿って書くの楽しかったので、また書こうと思います。よろしく。