【冬の1コマ】サバンナ改め翔んで埼玉、武蔵野の蒼天をゆく
※写真は全て無加工です
フォトコンテスト。
#冬の一コマ
noteの企画に投稿された冬にまつわる写真の作品を眺めていて、ふと思った。
「夏のイメージは日本全国どこでも似てる気がするけど、冬のイメージは全く違うんだなぁ」
天気や気候の話である。
当然といえば当然だけど、日本の冬といえば雪。
世界的に見ても珍しいほどの豪雪地帯を有する国。
投稿写真にも、いい感じに味のある雪景色に変わった街の写真だとか、雪の上の足跡とか…。
くぅ。どれもこれも秒速で入賞じゃ!
悔しいけどそんな写真、私にはすぐに撮れないや。
だって、ここは晴天率100万%の乾季・サバンナ…
改め、関東平野なんだから。。
いや、一面草原なのは実際サバンナだからアフリカ大陸と間違えても私に罪はないはずだ。
さすが武蔵野、野の字がつくだけのことはある。
・ ・ ・
今更だけど、小学生の理科レベルの話をしたい。
昨今は特にそうだが、夏は日本全国あまねくどこでも「暑い」。
そう、、、圧倒的に「暑い」。暑すぎる。
ここ数年で虫の生息域分布が北上しまくっているし、そんな真面目な話しなくてもみんな知ってる。暑い。
今は乾季のサバンナ(武蔵國)が、梅雨という名の雨季に突入している時期の話。
北の大国・北海道と呼ばれる遥かなる大地が、爽やかで暑い夏に既に突入しているという恐ろしい情報がニュースから流れてくる。
軽やかにキラキラ光る噴水で水遊びする子ども、札幌は大通り公園…毎年6月の全国天気でよく使われる映像の鉄板ネタだ。
気温、三十度。
さ、さんじゅう…ど?
マジ??地球、ヤバくない!?
羨ましさ通り越して絶望する!!
雨季のない気候など想像できないサバンナ民のワタシは、ひとり勝手に地球に絶望してしまう。
やっぱり北海道といえば大いなる北の大地。夏は涼しく冬は厳しい寒さを想像するから。
数年前に訪れた大晦日の札幌の、雪景色の美しかったことが思い出される。
子どもたちがはしゃいで雪だるまを作ろうとしたけれど、うまく作れなかったっけ。
大都会札幌の、例の大通り公園に積もった雪にもかかわらず、それは彼らの知ってるベタ雪ではなく乾いたサラサラの粉雪だった。
パウダースノーでは雪だるまはうまく作れないことを、子どもたちは知らなかった。
あの場所は雪国ではなく、北国だった。
酒場通りでは思わず長い髪の女の人を探しちゃったよ。
(元ネタ…わ、わかるよね?)
(細川たかし・北酒場…演歌)
・ ・ ・
私は、生まれも育ちも今現在の住まいも、ずっと関東平野の武蔵國だ。
吹き下ろしの強烈な向かい風に向かって、一面黄色いすすき野原の土手道を、毎朝の前髪のセットむなしく力一杯自転車を漕ぐ女子中学生を想像して欲しい。
それが30年前のワタシだ。
昨日は晴れ、今日も晴れ、きっと明日はもっと晴れ。(妙にポジティブ)
故郷・翔んで埼玉の荒川の橋の上から見える遠い山並みは、群馬栃木埼玉は当然のこと、
冬の富士山はなぜかやたらとデカく見え、なんなら長野の名峰まで最後列に見えたりして、ここは地球の中心だと勘違いしてしまいそうなほどの360度パノラマ。
それぐらい無限に透明で、冬の間だけは陽光が輝き空気はピカピカに磨かれたガラスのようなのだ。
冬の間だけ、やたらと山が近くなるのは多分そのせいだ。
晴れやかな関東平野の冬景色。
しかし中学高校が終わり社会人となった頃の私は、こともあろうかそんな関東平野の冬が大嫌いになってしまった。
青い空、枯れ草の野原、毎度おなじみの太陽…
空気が常に乾き、色のコントラストがはっきりしている無駄にだだっ広いこの土地は、雪景色の湿った水墨画の対極だ。
その頃の私はスノーボードに熱を上げていた。好きが高じてそれを仕事にもしてしまうほどにのめり込んでいた。
新潟と福島に、冬の間それぞれ3ヶ月ほど住んだことがある。
豪雪地帯の冬は、故郷とは何もかもが真逆だった。
スノーボードを愛する気持ちとセットになっている雪国の気候が、大好きだった。
湿った空気、毎日の曇天、日課の雪かき。
雪は恵みそのもの。♪雪、雪、降れ降れもっと降れぇ~(童謡の替え歌ね)
本当はいつも雪山にいたい。
でも、そうはならない現実があった。
埼玉で、今日は空気が一段と鋭く冷たく乾燥していると感じる時は、つまり山では大量に降雪しているという気象的な証拠だった。
今日山にいたら、どれだけ楽しかっただろう…何度そう思ったかわからない。
思うようにいかない悔しい思いは、乾き切った関東平野の冬景色に投影された。
でも今になって当時を思い返すと、少し違う視点も出てくる。
豪雪地帯の冬が好きだったのは、それが期間限定のことだったからかもしれないのだ。
私の心の中の冬の原風景は、いつだって晴れ渡っている。
雪国の人々が焦がれる太陽が、ここにはある。
今はそう気付いた。
・ ・ ・
私の父は北海道出身である。
北海道の中でも一番の極寒地として有名な旭川の、さらに少し北の方の出だ。日本の最低気温-41度を叩き出した彼の地である。
(-41度…正直意味が分からない!人間の住んでいい場所なの?)
帰省した実家にて、父に聞いてみる。
父にとっての冬とは?
「北海道の人たちが冬に交わす挨拶は『しばれるねぇ』なんだよ。」
たった今知ったことでまぁまぁ恥ずかしいのだが、「しばれる」を漢字変換したところ、私のPCチャンの変換はこうだった。
《凍れる》
なるほどコレか。こおってるのかい…??
「寒いなんてもんじゃないんだよ、本当の寒さって『痛い』んだよ。」
父にとっての冬は、雪でも寒さでもなく『痛み』だった。
北海道の田舎の田舎。
年寄りと呼ぶには若過ぎる60代の父だが、当時まだ電気も通ってなかったという。
一番近い街まで馬車に乗っていったそうだ。
名作ドラマ・『北の国から』からそのまま飛び出したみたいな暮らし(いや、それ以下)。
貧しい幼年期の父の、北海道の僻地での生活に思いを馳せる。
今の北海道だって極寒だろうに、暖房設備の整っていない貧しい住居で生き抜いてきた父の知ってる寒さとは、一体どれだけのものなのだろう。
・ ・ ・
対して母は北関東の出身、都会の街のほど近くに暮らす兼業農家家庭で生まれ育った。
祖父母の家系は大農家であり、かの聖典『翔んで埼玉』で人目も憚らず涙を流せるレベルの北埼玉土着の民である。
北関東の平野部の冬といえば、
グンマー帝国から吹き付ける猛烈なからっ風、青空、屋敷森の存在意義を知る季節。
さっきも述べたが、本当に荒涼としている。
母にも聞いてみる。
「うーんそうねぇ…麦踏みかなぁ。あの時期だけは畑を踏むのが喜ばれたから、畑で遊んでおいでっておばあちゃんによく言われたよ。」
麦踏み。
まだ芽を出してまもない麦を、文字通り人が踏む農作業のこと。
少し困難なことがあった方が麦のその後の生育に好影響だというまぁまぁ有名な話で、よく人間の成長にも引用されるアレ。
そうかぁ。
「でも今はそんな子もめっきり見かけなくなったね。」
お正月に母の実家へ行くのは子供の頃の楽しみで、畑に立ち入る事にわくわくしたのを思い出す。
凧あげをしたこともあったっけ。
しかし時代は変わるということか。
大人だって田舎の人ほど車社会で歩かないと聞く。
田舎の子はやんちゃに外遊びしているというのは都会に住んでる私の幻想だと、同級生にも言われたことがあったっけ。
・ ・ ・
さて。
話を自分に戻そう。
冬の一コマ。
私にとっての冬の風景。
それは故郷・埼玉の、カラカラに乾いた雲ひとつない青空。
丸裸になった雑木林の、切り絵のような陰影。
何者にも邪魔されない、橙と紺の対極のグラデーションの夕日。
コーヒーを焙煎したような、香ばしい匂い。
ここにはたしかに雪は降らない。
私の愛するスノーボードなんてできっこない。
毎日飽きれるくらいに晴れている。
火災も多いし、乾燥肌の私はあかぎれにも悩まされる。
それでもやっぱり、私の心にあるのはいつも蒼天の青空だ。
私の大好きな冬の一コマ。
関東平野はたしかに今日も、雲一つない青空だった。