酔いながらの帰路というエモ
▪️演じる肩書
真夏のむせ返る夜でも、冬空の凍える夜でも、ほろ酔い通り越して泥酔手前の加減で辿る家路というのは、いつも決まってどうにもエモい。
先程まで人と無邪気に戯れていた自分との、サシ。
ここで指すエモとは、近頃流行りのエモではなくて、20年前の使用法の【エモ】のこと。
哀愁、激情、情動。
emotional・エモ。
…で、
なんでこんなに、孤独なんだろう?
若かった頃はこうじゃなかったのに。
一体いつからこうなったのだろう?
酔った帰り道に孤独を感じるようになった時期を、本心ではなんとなく察している。
社会性の仮面をつけ、肩書きの鎧を着込む作業を、「ただいま」の自宅のドアを開ける前にするようになってからだと思う。
人がいてもいなくても、どことなくわたしはいつも、その時求められる肩書を、演じている。
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▪️BAR、止まり木
昨晩は、忘年会ではなくひと月ふた月に一度のペースで顔を出す馴染みのバーで飲んだ。今年じゅうに一度行こうと思っていた。
子どもが二人いる身で、たまにとはいえ外に飲みに出るというのは、まぁまぁ自由な方かもしれない。
でもこの自由を手にするまでは、自分の内外との壮絶な戦いがあった。
それを乗り越えての今だ。
どんな場所でも、ある程度コンスタントに顔を出してその場の人達と接触しなければ、自分の居場所にはならないという思いがある。
サードプレイスとは自力で作り出す場所だ。
そんな場所を確保することは、肩書きで自分を抑圧しないための私なりの方策。
それは逆説的に、肩書きで求められる役割を全うできる余裕を生み出してくれる。
走り続けるために、止まり木で羽を休める。
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▪️無茶or不無茶
いやはやしかし、近頃めっぽうお酒に弱くなった。
不惑の年を過ぎてしばらくすると急に色々くると聞いてはいたけれど。
そんなわけで、飲みに出た日の翌日の語尾の「デス」は「death」にいつもより数ミリほど近づいている。(私だけか?)
…かきつばたdeath!!!!
なんだろう、パンキッシュな香りがすごい。(謎
今日は、二日酔いというほどではないが絶好調でもないコンディションだったのだけど、
何を間違えたのか、昼時にマクドナルドという魔窟に迷い込んでしまった。
しかも、「グラタンコロッケバーガー」とかいう小麦粉・牛乳・バターのみで構成された頭のおかしい天才的な発明品を見事にオーダーした。
よっぽど頭が回っていなかったんだな。
付け合わせはもちろん、ポテト。
せめてサラダに変更しときゃ良かったのにと、今更思う。
この世の終わりだ…
栄養取れてる気が一切しない。
しかもカロリー爆弾。
うわっ変な汗出てきた!!
…案の定、食べながら後悔していた。
近頃、勢い任せのオーダーの後に後悔しながら食べてることが多過ぎる。
摂生せずにいるとそのまま体に跳ね返ってくるから、なんだかこういうのはもう卒業しないとなぁ。
揚げ物でサイドメニューを固めるとか、二人前のパフェをひとりで食べるとか。
不摂生なことをやると心身ともにグッタリすることが本当に増えた。
あぁ、若い頃に無茶しておいて良かった。
バカみたいに飲んで、騒いで、歌って、滑って、転んで、泣いて。
だから、思う。
無茶が効かなくなってきたことを笑いのネタにできる今も、なんだかしあわせだ。
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▪️いとエモし
アルコールというのは人間の本能の蓋を開ける。
あらゆる欲望への抑制が効かなくなる。
本能の蓋がなくなった時に出てくるものは、たいていどうしようもないその人の本性だ。
勢いに任せてぶっちゃけトークをし、
水分不足の体はラーメンのスープを飲み干し、
隣にちょっと良さげなお相手がいれば社会的なご事情は脇に置いてしまおうと…
いやぁ、理性って逆にえらいわ。
理性と本能のせめぎ合いも、時にいとエモし。
まぁなんだ、かくかくしかじか、各々その時一番欲したものを素直に手にしようとする。
わたし個人は、酔わなきゃ本音言えないってのはあんまり好きじゃないんだけど(いつだって本音で生きてるからな!!)
必要以上に己を抑圧してるのが人間の、むしろ普遍的な、自然な在り方なのかもしれない。
…なーんちゃって。(酔)
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▪️本日のヲチ
本日のオチは、特になし。
デザートのないコース料理みたいだけど。
ここまで「お酒とワタシ」ってテーマで書いたけど、最後のデザートの時だけはお酒じゃなくてコーヒーか紅茶がいいよね。
アレ、不思議よね〜。
それまで散々お酒と料理のマリアージュでワイン進みまくりなのに、いきなりの心変わりという裏切り。
むしろもうお酒要らない…。
でね、デザートのお供は。
わたしはいつも決まってる。
絶対ホットの、ブラックで。
(めでたし)