【文楽】曾根崎心中
2023年4月15日(土)、大阪の国立文楽劇場で、文楽の『曾根崎心中』を観て来ました。メモを残したいと思います。
■『曾根崎心中』について(公演プログラムを参考に)
『曾根崎心中』は、元禄16年(1703)4月7日、曾根崎新地の露天神で、醤油屋の手代平野屋徳兵衛と新地の遊女天満屋お初が心中した事件を、近松門左衛門(1653〜1725)が脚色した人形浄瑠璃です。竹本座での初上演は、同年5月7日ということですから、近松が事件からわずか1ヶ月ほどで台本を書き上げたことが分かります。
これまで私は、『心中天網島』『冥土の飛脚』など心中物を観て来たのですが、それらに比べ、『曽根崎心中』は、ストーリーがシンプル、且つ、プロットがしっかりしていて良かったと思いました。これは近松が短期間に勢いを持って書き上げたことと関係しているかもしれません。
また、上演される段数によるのかもしれませんが、今回は三段(「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」)で、上演時間は1時間40分と比較的短く、初めて文楽や世話物・心中物を観る人にもオススメです。
なお、今回は、近松門左衛門300回忌と銘打たれていました。
■「天満屋の段」について
①お初の人形の足について
事前に、私は『曽根崎心中』の簡単な本を読んでおりました。
ここでも書いたのですが、「天満屋の段」で、お初が縁側に打ち掛けの裾を垂らして腰を掛け、徳兵衛を縁の下に押し込みます。お初の足先・指先が徳兵衛の顔に触れ、二人が意思疎通します。
文楽では、女性の人形に足がありません。この場面どのようになるのかな、と思っていました。目を凝らして見たのですが、お初の着物の裾あたりに徳兵衛が頬を寄せる感じでした。でも、所々、徳兵衛の手が何か(お初の足?)を持っているようにも見え、ここははっきりと分かりませんでした。いつか文楽の関係者の方に話を伺ってみたいです。
②女中・お玉について
みんなが寝静まった後、死に装束に着替えたお初が、徳兵衛と二人で、天満屋から抜け出そうとします。まず、お初が箒の先に扇をつけて扇ぎ、吊行灯の火を消します。そして、女中・お玉が火打ち石を打つ音に合わせて、少しずつ戸を開けて二人は店の外へ抜け出します。
この女中・お玉の人形の「かしら」は、三枚目の「お福」で、コミカルに描かれます。その分、こっそり抜け出そうとする徳兵衛とお初の緊張感や、後の心中の場面の悲壮感が際立つように思いました。文楽は、このように真剣な部分とコミカルな部分が混ざり合う時があり、急緩があって面白く感じます。
③文楽の演出について
お初が徳兵衛の髪を櫛(簪?)で梳くという場面がありましたが、詞章には書かれていないように見えて、別途演出法があるのだろうかと思いました。
■曾根崎について
大阪の地理について私は全く詳しくないのですが、イヤホンガイドでも少し出ていたので、少しメモしておきたいと思います。
①菅原道真と露天神(お初天神)
菅原道真が太宰府に流される際に立ち寄り、霧が深いことを歌に詠んだそうです。
このように曾根崎は菅原道真と関係が深いようで、例えば、天満屋の暖簾に「梅」が描かれるなど、舞台でも関係が示唆されていました。
なお、いくつかインターネットのHPなども見てみたのですが、「露天神(つゆのてんじん)」より、この『曾根崎心中』の遊女・お初に由来してた「お初天神」の呼び方の方が有名なようです。
②蜆川(しじみがわ)
詞章にも出てきますが、江戸時代は、蜆川(別名、曽根崎川)という川が流れていたそうです。Wikipediaによると、明治時代に埋め立てられたそうです。
もともと曽根崎は、湿地帯で島々があったようです。埋め立てて広がっていったのでしょうか?インターネットで検索してもよく分からなかったので、また時間のあるときに図書館などで調べてみたいと思います。
本日は以上です。