「失敗」は事実ではなく、感情ではないか?
今回は「成功するためには〇〇が必要だ」とか、「失敗を乗り越えるには〇〇が大事だ」といった失敗や成功をどのように活用するかという着眼点の話ではありません。「失敗と成功」それ自体、その概念にスポットを当ててお話します。
失敗は本当に失敗なのか?
「あー、会社でやらかしてしまった。失敗したなー」とか「〇〇ちゃんに振られた。告白が失敗に終わった。」とか、失敗したと感じる場面はいくらでもあります。しかしそれは本当に失敗と言えるのでしょうか?
仮に例のように告白が失敗に終わったとしましょう。確かに〇〇ちゃんと付き合うことができなかったという点では失敗しているかもしれません
しかし、振られた彼が今まで告白した経験が一度もない人間であれば、変化という点では上手く行っています。成功しています。もっと言えば、その後、彼がその経験を活かして、恋愛上手になれば、彼は「あの時振られておいてよかった」と思うかもしれません。その時点においては、失敗かもしれないということも、長期的に、あるいは人生という視点で見れば成功と言えるかもしれません。
失敗とは何なのか?
あなたが失敗したと思うことも、人から見れば成功していると思うかもしれません。失敗したと思うことは簡単であっても、論理的かつ客観的にそれが失敗であるというのを証明するのは難しいです。そもそも失敗の定義が何なのかも曖昧です。失敗とはその程度の事なのです。
失敗ばただの思い込み
失敗した、というのは言うなれば「思い込み」です。ただ何となく世間一般の共通認識として、失敗があなたを失敗させているだけです。常識が失敗することを前提としすぎています。物事を取り組む上での通過儀礼として、当然の如く失敗があるように思えてしまいます。
ですが、失敗を絶対的にそうであると証明する術はありません。
つまり、失敗したとは突き詰めれば、主観なのです。失敗したと思わなくても別にいいというわけです。その上で、自分自身が失敗したと思いたいかどうかを自分の心に問いかけてみてください。きっと失敗したと思いたい人は少数だと思います。
きっとそう考えれば楽になると思います。失敗したと思ったとしても、私の主観としてそう思っているだけという認識があるだけで、受け止めるものも軽くて済みます。そうすると冷静に事実が見られるようになります。失敗したかどうかではなく、何が起こったか?という視点に移り変わっています。私はそうした視点こそが、成功したと思えるくらいに自分を高めるために必要な能力だと考えています。