ポール・マッカートニーとダニエル・バレンボイム 「長生きしたモーツアルト」たちと生きる喜び
私が尊敬する二人の天才、ポール・マッカートニーとダニエル・バレンボイムが、同い年だと、今さらながら気づいた。
どちらも1942年生まれ。78歳である。
一方はポップ界の大スター、一方はクラシック界の大スター。
畑は違えど、10代から活躍を始め、どちらも60年以上のキャリアを誇る。
そして、いまだにその活動が衰えない。
コロナの自粛中も、ポール・マッカートニーは、一人で作曲し、一人で全楽器を演奏したアルバム「マッカートニー3」を製作した。
一方のダニエル・バレンボイムは、自粛中に5度目(!)のベートヴェン・ピアノソナタ全曲録音をおこない、同時に無観客での指揮活動をつづけている。
その二人の姿は、いずれもYoutubeで見ることができる。顔のシワは増えたが、体の動きは老いを感じさせない。
モーツアルトが40代を超えて長生きしていたら、どんな活躍をしたか。それは想像するしかないが、こんな風ではなかったか、という実例を、二人の姿に見ることができる。
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天才でないわれわれが、彼らに学ぶべきことは何だろうか。
二人は長いキャリアで、非常に多くの才能と触れ合ってきた。時には自分とは異質の才能ともコラボしたが、「自分の音楽」「自分の個性」を一貫させている。
例えばポール・マッカートニーの「Coming' Up」を聞けば、なぜ「打ち込み」を使わないのか、と思う人は多いのではないが。打ち込みを使えば、もっと今風になるのに、と。
それは「マッカートニー3」でも同じであろう。彼はBeatles時代とずっと同じ音楽を半世紀以上、やっている。
ダニエル・バレンボイムも同様である。古楽器演奏の全盛期に居合わせ、ピエール・ブーレーズとも長い共同作業をおこなったが、10代からの彼の音楽に本質的な変化はない。
聞き手によっては古いと思わせる、ロマンチックで起伏の大きな演奏をずっとやっている。小澤、ラトルのような、古楽器派との妥協のような演奏は絶対にしない。
どちらも、楽想の核心と自分が思うものをしっかりと掴み、それをストレートに表現する。回りくどさや晦渋とは無縁だ。その表現は明確で、迷いがない。
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仕事を選ばない、と思えるほど、活動が精力的であることも共通している。特に二人ともライブを好む。
性格は二人とも楽観的、かつ実際的だ。
バレンボイムのドキュメンタリーを見たが、一日の仕事が終わると、葉巻を1本吸って、今日のことはすべて忘れる、明日はまた新たな一日、という感じで活動していた。ポール・マッカートニーも(喫煙はしないだろうが)、同じような生き方ではないか。
長生きすると、周りは死んでいくし、悲劇も多く見る。ポール・マッカートニーも、ダニエル・バレンボイムも、周知の通り、近親者の悲劇を含めて、いろいろなことが起こった人生だったが、彼らの表現や芸術にそれらが影を落とすことはない。
そう、心身ともに「健康」であること、それが彼らの天才の基礎にある。
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早くから成功した天才で、仕事がないということがかつてなかった。いつでも人に囲まれる人気者として生きるのは、羨ましくもあるが、大変でもあろう。
その環境で、二人のように、つねに周囲に寛容で、いつまでも前向きで、人々を楽しませようとし続ける人格的資質は、その音楽的天才以上に、稀なものに思える。
凡人には真似できないが、その人間的な力を少しでも学ぶことにして、二人のさらなる活躍を願い、「長生きしたモーツアルト」と共に生きてある喜びを享受したい。
(終わり)