日本保守党 飯山陽を「排除」する論理
まあ、選挙といえば、「排除」が付きもので。
10月8日に、日本保守党は衆院選での候補者名簿を発表しましたが、その中に、先の東京15区補選で、候補として戦った飯山陽さんの名前がなかった。
それについて、飯山さんは、YouTube動画で「恨み節」を述べました。
自分を候補から外すに際して、何の相談も連絡もなかった、と。
自分が選挙中、百田尚樹代表に意見を申し上げたのが、お怒りを買ったのだろうか、と。
たとえば、選挙中に、百田代表がマイクを使って歌を歌うのをやめてほしい、と飯山さんが意見したが、聞いてくれなかった、など。
衆院補選で百田代表が歌う動画↓
保守派の政治評論家、長谷川幸洋さんも、自身のYouTube動画で、選挙中の飯山さんと百田代表の「激しい議論」を見たと言っていました。
長谷川さんは、「仲間を大事にしないのは『保守』ではない」と苦言を呈して、飯山さんは保守党に「切られた」のだろう、と述べました。
維新では、足立康史さんが排除されました。
そして、自民党では、旧安倍派が排除された、と。
今度の選挙でも、排除が流行っている。
百田尚樹さんが、飯山陽さんを排除したとすれば、言い方は悪いですが、文壇のはみ出し者が、学界のはみ出し者を切った形です。
いよいよ居場所をなくした飯山さんが、かわいそすぎるだろう、と。
でも、「百田尚樹VS 飯山陽」という対立図式を、私は疑っています。
実際に、飯山さんを排除したのは、事務総長の有本香さんではないか、というのが、私の見立てです。
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日本保守党は、他党とは異質だと私は思っています。
私は日本保守党の立ち上げの時から関心を持ち、このnoteでもたくさん取り上げました。
それは、最初から言っているとおり、「作家と編集者が作った政党(政治団体)」だったからです。
私は元出版人だから、そういう成り立ちに興味を持ったんですね。
元編集者の私から見れば、日本保守党は、
「作家の百田尚樹と、その編集者の有本香」
の関係で成り立っている団体です。
もっとはっきり言えば、有本さんが編集者として、作家の百田を持ち上げて、ヨイショして、いい気持ちにさせて、百田を前面で踊らせ、背後で、自分が実権を握って采配している。そういう団体だと思います。
こう言うと、有本さんをけなしているように聞こえるかもしれないけど、これは、編集者が普通にやっている仕事です。
有本さんは、ジャーナリストとしては突出した仕事がなかったですが、編集者としては優秀だと思います。
なにしろ、百田さんにくわえ、名古屋の河村たかし市長という、二人の「ナルシスト爺い」を手玉にとっている。
大したものだと思いますが、しかし、これは出版界で、編集者が「通常運転」としてやってることだとも言えます。
編集者は、何人もこういう「作家」を抱えて、彼らのナルシシズムに奉仕しているんですね。
作家というもの、特に才能ある作家というのは、巨大な自我を持ち、我が儘で、ナルシストです。
明治時代の自然主義作家、岩野泡鳴は、講演中に「俺は宇宙の支配者だ」と叫んで聴衆を唖然とさせましたが、全ての作家には、そういう誇大妄想が大なり小なりある。それが創作の原動力になります。
作家というのはナルシストで、それでいいんです。そのナルシシズムを励まし、全能感を持たせ、才能を絞り出させて作品に結晶させるのが編集者の仕事です。
その仕事を通じて、編集者も、自らの権力欲を密かに満足させます。
普通は、作家の作品が世の賞賛を浴びることで、代償的な満足を得る。
あるいは、ベストセラーを出すことで、会社の中で出世して、部長なり役員なりになって、権力欲を満たす。
有本さんの場合は、その権力欲が、政治権力の掌握に向かったようです。
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そういう私の見方からすれば、飯山さんを「切った」のも、有本さんだろうと見ています。
飯山陽さんも「作家」ですからね。我が儘でエゴイストです。
有本さんから見れば、お仕えする作家は、そんなにたくさん要らないし、たくさんいては困る。
それに、編集者は通常、年上の作家の方が仕えやすい。有本さんも、爺い専門ですね。
今回の候補者の中にも、島田洋一・福井県立大名誉教授なんて「作家」がいるけど、これも爺いだから、扱いやすい。
でも、飯山さんは有本さんより年下で、同性ですからね。扱いにくい。
有本さんは、東京補選を通じて、たぶん飯山さんが、予想以上に「作家性」が強いことに気づいたのでしょう。自分の作家どうしが喧嘩するなんてのは、いちばん困る状況です。
だから、有本さんは、「飯山さんは担当できない」ということで、「切った」んだと思います。
それは、「編集者」の心理として、よくわかります。
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ただ、百田さんも、自分に意見する飯山陽さんがうざかったのは、確かでしょう。
作家はみな、大なり小なりナルシストだとしても、百田尚樹さんは、少し度が過ぎているところがあります。
SNSでも、つねにファンの賞賛を求めている。
「自分を褒めて、褒めて」と。
今回の飯山さんとの件でも、百田さんはさっそく「選挙中の百田代表の歌は悪くなかった」という意見をSNS で盛んにリポストしてました。
少しでもナルシシズムが傷つくことに耐えられないようです。
それは、百田さんが、出版界でハブられて、メディアから持ち上げられないし、文学賞ももらえないから、「大天才」としてのナルシシズムが満足されないからだと思います。
自己愛の欲求不満、作家としての自己愛が不全なんですね。
有本さんは、そのあたりをよく理解して、ツッコミつつも、絶妙に百田さんを気持ちよくする術を心得ている。
こういう感じの「できる編集者」を、出版界で何人も見てきました。
有本さんは、もう小説を書いても昔ほどは売れない、文壇の大物としても遇されない、という百田さんに、最後の花道を作ってあげた、とも言えます。
百田さんも、そういう有本さんのありがたみがよくわかっている。だから、非常に大事にしている。
そういう作家みたいなナルシストが、政治家に向いてるかというと、もちろん向いてないですね。
百田さんも、政治家なんか、やりたいわけがない。
Public servant なんて、いちばん向いていない。国民のために、人知れず汗を流す、なんてことができるわけがない。いつも「自分が、自分が」の人たちですから。
だから、比例名簿でも、自分は第3位かなんかですね。病気を言い訳にしていましたが、本当は政治家をやりたくないからです。
百田さんも、自分の編集者である有本さんのためにやっている。
彼としては、政治権力を持つことは、自分をハブってきた業界やマスコミへの仕返しでもあるでしょう。
そういう部分は有本さんにもあり、それが、二人の絆になっている。
作家が生きている間は、編集者はあくまで編集者ですから、有本さんは決して「代表」にならない。事務方のままです。
でも、いずれ百田さんも、河村さんも、死ぬか引退しますから、そうなると有本さんが党首になる。それは了解済みなのだと思います。
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こう述べたからと言って、日本保守党が無価値とか無意味とか言いたいわけではありません。
私は、日本のガンは朝日・毎日のような左翼メディアだと思っていますから、メディアからこうした保守政党が生まれて、従来のメディアを動揺させてくれるなら、おもしろいし、期待しています。
「朝日・毎日をぶっ壊す!」と訴える政党が必要なんです。朝日・毎日の害悪は、NHKどころではない。朝日・毎日がぶっ壊れるか、日本がぶっ壊れるか、です。
日本保守党が、朝日・毎日をぶっ壊すような政党になる可能性はあります。
今度の選挙での戦略も、自民党の左傾を嫌う岩盤保守層の受け皿として、比例で「保守党」と書いてもらうーーその狙いは的確で、さすが有本さんだと思います。
「思想」がたいしてないからこそ、計算ができる。いい意味での「ビジネス保守」ですね。
でも、今のところは、彼らを真面目な保守思想の担い手だとも、責任ある政治主体だとも、考えたことはありません。
日本保守党の健闘を祈りますが、私は、国民民主党にでも票を投じます。
<参考>