小説・地下鉄サリン事件
今日3月20日は、28年前、地下鉄サリン事件が起きた日。
私も当時、被害にあった千代田線を使って通勤していました。
というわけで、オウム真理教事件の発端から最後までを描いた私の傑作小説、発表から1年以上たって世界でまだ5人くらいしか読んでいない「1989年のアウトポスト」(映像化権空いてます!)から、地下鉄サリン事件の部分を引用します。
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<以下、「1989年のアウトポスト」より引用>
1995年に入った。
ヤナは、出勤の途中、地下鉄の改札へ向かう通路を歩きながら、神経症で苦しんだ人生最悪の時期を思い返し、現在の幸福を噛みしめていた。
あれ以来、恋人もおらず、私生活に何の変化もないが、仕事に全力を注ぎこめる30代半ばのいまの人生に、充実感をおぼえている。
玖美のことはときどき思い出す。あれから一度、玖美の家族が働く温泉旅館に泊まり、前に会えなかった家族にも挨拶できた。それぞれの思い出のなかで、玖美はこれからも生きつづけるだろう。
日本はどうなる、とマスコミは将来を悲観してばかりだが、ヤナは不思議と不安を感じない。いまが充実していれば、未来を楽観できるのである。
改札を通ったところで、ホームに向かう階段の隅に、壁にもたれて男が立っているのが目に入った。男は左手に紙袋を、右手に傘を持っている。
ヤナは、男の横を通り過ぎるとき、傘に目が止まって、「あれ、雨が降っているのかな」と一瞬思った。今日はずっと晴れのはずだが。
しかし、すぐに忘れて、ホームに向かった。電車はもうすぐ着くはずだ。
傘を持った男は、薄い笑いを顔に浮かべ、ヤナのあとを追うように、ゆっくりとホームのほうに歩いていく。
仲間内で〈ドクトル〉と呼ばれている、その男が左手にもつ紙袋の中には、猛毒ガスがつまったビニール袋が入っている。
右手に持った傘の先が、もうすぐそのビニール袋に突き立てられる。
(続きは↓)
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