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飯野賢治没後10年

ゲームクリエイターの飯野賢治さんが、2013年2月20日に42歳で亡くなってから10年。

飯野さんの誕生日が5月(5日)であるため、今月、没後10年の記事や企画がいろいろ出た。生きていれば53歳。


飯野さんがゲームクリエイターとしてメディアに出まくっていたのは1990年代の後半だ。

だが、1999年の「Dの食卓2」を最後に、飯野さんはゲームの仕事から離れていた。


私は死の5年ほど前、2000年代の後半に、1度だけ仕事でお会いした。

ある企画にからんだインタビューだったが、周囲は「なんで今さら飯野賢治?」という雰囲気だったと思う。

でも、私はどうしても飯野さんに会っておきたかったのだ。

「Dの食卓」や「エネミーゼロ」のゲーム体験が、自分にとってどれだけ大きなものだったか。私は飯野さんのファンだった。


飯野さんは結局、高血圧性の心不全で亡くなるが、私が会ったときには、体調が悪いという話は聞いていたと思う。

実際、顔色がいいとは思わなかった。

しかし飯野さんは親切で、いろいろ話してくれた。飯野さんは当時、おさいふケータイで自動販売機を利用する、それにエンタメ要素を加える、みたいな仕事をしていたのだが、私がなかなか呑み込めないのを、苛立つことなく穏やかに説明してくれた。

飯野さんといえば、強面で生意気なイメージもあったから、少し拍子抜けするほどだったが、親切で知的な飯野さんの姿を思い出に留めることができてよかったと思う。

そして、ゲームの話はほとんどできなかったが、私の敬意も伝わったのではないかと思う。


飯野さんの葬式で、親しかった坂本龍一氏の以下の弔電が披露された。

「飯野、俺は怒っているぞ。なぜ急ぐような死に方をしたのだ。あまりにもダラしないじゃないか。俺ももうすぐそっちに行く。忘れずに待っていろよ」

その坂本さんももういない。


私はクリアできなかった「エネミーゼロ」の攻略本をいまだに持っている。

それを捨てられないのは、彼の早すぎる、ゲームからの、そしてこの世からの引退に、坂本さん同様、怒っているからかもしれない。



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