小澤征爾のベスト
わたしのお気に入りYouTuber、クラシック評論家のデヴィッド・ハーウィッツが、「小澤征爾のベストレコーディング(アーティストごとに一つだけ選ぶとすればシリーズ)」を発表していた。
If I Could Choose Only One Recording By...SEIJI OZAWA(David Hurwitz 2月7日)
ハーウィッツのチョイスは、フォーレ「ペレアスとメリザンド他」ボストン響盤。
みごとなチョイスと言えるでしょう。
小澤×ボストン響 フォーレ「ペレアスとメリザンド」よりシチリアーノ
小澤×ボストン響 フォーレ「パヴァーヌ」
「小澤はフランスものが得意だが、とくにフォーレの歌がかれの魂にひびく」
「あまたあるペレアスとメリザンドの録音で、これが最高」
「小澤は、基本的には、花火を打ち上げるような演奏はしない。かれの音楽の本質は、これ見よがし(showy)でも、ド派手(splashy)でもない」
「だから、抒情的なフォーレのような音楽がぴたりとハマる。ゴージャスきわまりない」
かれの小澤観に、わたしも同感だ。
わたしのチョイス
わたしのベストも選ぼう。
ボストン響とのマーラーもいいし、サイトウ・キネンとのバッハやベートーヴェンも美しい。ハーウィッツが触れているブルックナーもいい。
小澤は、だいたい何を振っても素晴らしい。フレージングが完璧で、音響への優れた耳をもっているからね。
だけど、小澤の魂が歌っていないと、表面的な演奏になる。
小澤の「歌」が聞こえてこない演奏は、そこそこ楽しめても、感動しない。
小澤が本領を発揮するのは、ベートーヴェンやマーラーではない、とやはり思う。
大言壮語する音楽は、小澤には合わない。なぜなら、小澤は大言壮語しない人だから。
わたしはもちろん評論家ではないし、小澤の膨大な録音の半分も聴いてないだろう。
そのうえで、わたしのベストレコーディングを発表するなら、フランス国立響とのビゼー「交響曲ハ長調」だ。
なんといっても、小澤でいちばんプレーヤーにかけるのがこの盤だから。もう30年近く聴き続けて飽きない。
ハーウィッツと同じくフランスものになる。だが、フォーレでの魅力とまた違い、小澤の抜群のリズム感、バネの良さが生きている。
そして、小澤の「歌」が一貫するのはフォーレと同様だ。
安心して全身をゆだねることができる。いつ聴いても心が湧きたつ。
小澤×フランス国立管弦楽団 ビゼー「交響曲ハ長調」
プロ的なことはわからないが、小澤の演奏はつねに弦楽アンサンブルが丁寧かつ切れがいい。この録音でもそうだ。小澤は弦楽が主役の曲がいい。
この曲は、小澤を先に聞いてしまうと、たいがいの演奏が汚く下品に聞こえる。ビゼーのこの曲の録音をすべて聞いたわけではもちろんないが、これ以上の演奏は望めまい。
併録の「子供の遊び」は、交響曲同様に素晴らしい。「祖国」序曲は、曲の魅力が落ちるのが残念だが、演奏は立派。
交響曲ハ長調は、ビゼー17歳のときの曲だ。こんな傑作が、ビゼー生前はほとんど無視されていたというのが信じられない。
小澤は、モーツアルト16歳のときの曲、K136のディベルティメントを、好んで演奏する。
天才の「若書き」は、成熟期の作品と同等の価値がある。天才の「初しぼり」だ。(ちなみに、モーツアルトは35歳で、ビゼーは36歳で死んだ)
無垢な天才の、無心な歌こそ、小澤の好みなのだ。小澤の魂は、そうした「歌」にふるえるのだと思う。
小澤の「歌心」が曲と合ったときの感動といったら・・
こんな演奏(↓)を聴くと、涙が出てくるんですけど・・
小澤征爾×サイトウ・キネン モーツアルトK136第2楽章(アンコール)
<参考>