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高村薫氏、「完璧なタイミング」で直木賞選考委員退任 文壇「左翼時代」の終わり?

トランプ大統領の就任で、世界的に左翼の時代が終わったと言われている。

イーロン・マスクの敬礼がナチ風だの、カトリックの女司教がトランプを叱っただの、日米で、左翼の悔しまぎれの難癖、負け犬の遠吠え、阿鼻叫喚が聞こえる。

マスコミ業界で俺をいじめた左翼ども、ざまーみろ。お尻ぺんぺんだ。


世の中、すべて、タイミングだ。

左翼の時代が終わる直前に、LGBT系ド左翼の安堂ホセ氏に芥川賞を与えたニッポン文壇のタイミングの悪さを見よ。


おれがニコ生で、安堂ホセ『DTOPIA』について「賞味期限はせいぜい今年いっぱい」と言ったのはこういう意味だよ。選考委員たちの情報リテラシーが敏かったら授賞しないだろうが、まあ、ぬるいから受賞もありえるかも、とも言ったはず。それもこれもwokeが調子に乗りすぎたということだ。
(栗原裕一郎 2025/1/21 3:49)


安堂ホセ氏は、トランプの反ジェンダーイデオロギー政策に抗議して、キャンセルカルチャーのお仲間と得意の「声明文」の一つも出すべきではないだろうか。アメリカからは「お前、誰?」と言われそうだが・・


いっぽう、トランプ就任と同時、完璧なタイミングで直木賞選考委員退任を発表した高村薫は、さすがのタイミングのよさだ。


日本文学振興会は22日、直木賞の選考委員を務めていた作家の高村薫さん(71)が退任したと発表した。
(共同通信 2025/1/22)


退任の理由は公表されていないが、

「トランプがまた大統領になった。左翼の私はもう時代についていけません。文学を評価する自信がありません。だから辞めます」

ということだ、と私は思った。

そうに違いない。

そう思わなかった?



それは、高村薫という作家に、どういうイメージを持っているか、によるだろう。

彼女は、政治的に饒舌とは言えなかったが、朝日や毎日が「左翼系の重鎮」として彼女にコメントを求めることが多かった。

もともと「第二の松本清張」「おんな松本清張」という期待を背負って文壇に登場した。

松本清張のように、日本共産党を露骨に応援するようなことはしなかったが、内田樹と朝日から本を出す程度には左翼だった。


高村氏は、われわれの世代には、「冒険小説の女王」というイメージが強い。

1980年代後半から1990年代にかけて、文壇を席巻した冒険小説ブームは、「団塊世代の、団塊世代による、団塊世代のための」ブームであったことは、以前書いたことがある。


その小説は、団塊世代の左翼的な価値観を基本にしている。

テーマは、反体制、反国家、反資本主義、反米、第三世界へのロマン、警察の腐敗、など。

そして、全共闘の敗北以降、価値観を喪失した者のニヒリズムが投影されているのも特徴だ。

ハードボイルド小説の形を借りた、一種の社会派サスペンスだった(高村薫は第二の松本清張と言われた)。

作家は団塊世代が中核で、程度の差はあれ、学生運動の経験者だった。高村薫はやや若かったが、頭の中は「団塊サヨク」だった。立松和平と北方謙三が文学的同志であったのは有名だ。

それに、藤田宜永、宮部みゆき、大沢在昌、馳星周などが「弟・妹分」として加わっていた。

この期間、彼らが、とっかえひっかえ「直木賞」を取っていく。まさに冒険作家が文壇を席巻した時代だった。


そして2年前の1月、目黒考二氏の死と、北方謙三氏の直木賞退任が同時に来たときも、私は出版の「団塊時代」の終わり、という記事を書いていた。


冒険小説のブームは、団塊世代が出版界で主流になったことで起きたブームだった。

彼らは、上記の引用で述べたとおり、冒険小説の中に、自分たちの青春である1960年代の左翼思想を込めた。


私は、1970年代から続く「SFブーム」が終わり、「冒険小説ブーム」に交代する光景を同時代に目撃した。

編集者たちは、ブームの終わったSF作家から、売れ筋の冒険小説作家に大量に移動した。


だが、冒険小説ブームとSFブームとでは、大きなちがいがあった。

SF作家は直木賞をとれなかったが、冒険小説作家は直木賞をとりまくるのである。


そういえば、SF作家が直木賞をとれなかった「ルサンチマン」を指摘するXのポストを、最近見かけた。


SFが直木賞候補にならず受賞しない、純文学から見下され認められない。それは筒井さんや小松さんの日本SF第一世代には強いルサンチマンと原動力になり、賎民意識と選民意識がないまぜになった特異なジャンルのアイデンティティを形成したけど
(藤田直哉 2025/1/19 12:05)


冒険小説作家には、そんなルサンチマンはないはずだ。業界で恵まれていたからである。

以下は、冒険小説協会が主催した「日本冒険小説協会大賞」の受賞作だ。

このリストにある作家の多くが、冒険小説協会大賞をとった後に、あるいは同時に、直木賞をとった。

第1回 1982年 眠りなき夜 北方謙三
第2回 1983年 檻 北方謙三
第3回 1984年 山猫の夏 船戸与一
第4回 1985年 背いて故郷 志水辰夫
第5回 1986年 カディスの赤い星 逢坂剛
第6回 1987年 猛き箱舟 船戸与一
第7回 1988年 伝説なき地 船戸与一
第8回 1989年 エトロフ発緊急電 佐々木譲
第9回 1990年 行きずりの街 志水辰夫
第10回 1991年 砂のクロニクル 船戸与一
第11回 1992年 リヴィエラを撃て 高村薫
第12回 1993年 マークスの山 高村薫
第13回 1994年 ストックホルムの密使 佐々木譲
第14回 1995年 蝦夷地別件 船戸与一
第15回 1996年 不夜城 馳星周


例外は、志水辰夫と北方謙三だが、北方はのちに直木賞選考委員になる。

また、冒険小説大賞をとる前に直木賞をとった大きな例外が、大沢在昌だ。


その時代まで、SF大賞や星雲賞の受賞者が(風俗小説で直木賞をとった半村良を例外として)直木賞をとれなかったのと対照的だ。


なぜSF作家は直木賞をとれず、冒険小説作家はとりまくれたのか。

「逢坂剛、舩戸与一、高村薫」らが、「小松左京、星新一、筒井康隆」より文壇的に優遇されたことは、文学的に、正当化できるのだろうか。



ブームの際には、たとえば井家上隆幸氏のような、「冒険小説作家お抱え」のごとき書評家がいた。

彼は、元「三一書房」の編集者で、日本冒険作家クラブの役員でもあり、上のリストにあるような作家の新作が出るたびに褒めちぎっていた。

年齢は団塊世代より上だが、思想的には左翼であり、団塊左翼世代の応援団の一人だった。はっきり言って、党派的な書評家だった。

政治性はより薄いとしても、目黒考二氏や椎名誠氏の「本の雑誌」も、似たようなものだった。


そういう業界内の応援団がいたことも、冒険小説作家の覇権に貢献したのだろう。

そして、一度冒険小説作家が直木賞をとって業界権力を握ると、その後は次々と仲間の作家に賞を与える、ということが起こる。

そうしたことにより、SF作家との大きな境遇のちがいが生じたのではないだろうか。

個々の冒険小説作家に実力があったのは間違いないが、彼らの政治力(レーニン主義ってやつ?)は、世代特有の強みに見えた。



冒険小説作家の覇権は、1987年の逢坂剛氏の直木賞受賞から始まり、2020年の馳星周氏の同賞受賞で最終的に終わった、というのが私の見方だ。

2020年に団塊世代が後期高齢者に達し、出版社の経営陣からもいなくなり、出版界での彼らの時代が終わった。

その後の北方謙三氏や、今回の高村薫氏の直木賞選考委員退任は、その結果とも言える。

それに、選考委員の中には、かつての冒険小説作家の息がかかった宮部みゆきのような人がまだいるから、後顧の憂いもない。


「団塊」というくらいで、作家・編集者のボリュームがあったから、冒険小説作家集団の「圧」はすごかった。

以上の記述でわかるだろうが、個々の作品の評価とは別に、集団としての彼らは、私は好きではなかった。

小説の中では孤高のヒーローを描くくせに、業界では徒党を組む彼らは、カッコ悪かった

マスコミ内で左翼にいじめられ、左翼嫌いになってからは、なおさらだった。



でも、ブーム中に会った人の中で、私がいまだに爽やかなイメージを持っている人がいる。内藤陳さんだ。

彼は、冒険小説ブームの火付け役だった。

だけど、業界的な動きを嫌って、最後まで「一読者」の立場を貫いた。

ブーム中にも、ダメな作品は遠慮なくダメだと批判したので、次第に作家に疎まれていったところがあった。

まあ、井家上隆幸氏とは対照的だった。

内藤陳さんこそがハードボイルドで、カッコよかったなあ、と思う。


以前にも書いたが、彼の店の新宿ゴールデン街「深夜プラス1」で、カウンターの中の彼と対峙するように酒を飲んだ夜のことは、忘れられない思い出だ。

実は、今週の月曜日に、新宿に用があったので、ついでにゴールデン街の様子を見てきたのだ。

内藤陳さんは亡くなったけれど、「深夜プラス1」はまだあった。内藤さんの魂がまだそこに留まっているような気がして、嬉しかったのだ。


2025年1月20日撮影



<参考>



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