贅沢の極み、ひとりスキヤキ
寒くなった。
今週からスーパーでジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」が流れ始めた。
店の一角に「鍋コーナー」ができて、鍋のつゆやキノコ類を並べている。
私はすでにフライング気味に鍋シーズンに突入している。
毎日、ひとりスキヤキ三昧だ。
鍋料理は、みんなで囲んでワイワイ食うのが楽しい、とかいう人がいる。
考え方はそれぞれだが、そういう人は家族イデオロギーに一生だまされて、共同体のために個の幸福をずっと犠牲にしてろ、と思う。
鍋はひとりに限る。ひとり焼肉の上を行くのが、ひとり鍋。その最上級がひとりスキヤキだ。
考えても見よ。
家族に最初に殺気を覚えたのはスキヤキ鍋のときだったはずだ。
スキヤキの肉を、すべて自分のものにできたら、と子供の頃、考えたはずだ。
その夢がかなう。あの鍋をめぐる不毛な戦いを経ずに、ひとり占めできる。
糸こんにゃくだのマロニーだのは入れない。ああいう、肉の代わりの残念賞的食材で涙をのむ必要はもうない。
もちろん、貧乏人にとっては、牛肉をどう調達するかが問題だ。
1日食費1000円で暮らしている私は、ほかの季節は牛肉など食えない。
しかし、この季節だけは別で、ほかを一切犠牲にして、牛肉の「量」を確保する。
スーパーなどで、賞味期限切れ目前の輸入牛肉の切り落とし(要するに牛丼用のやつ)をそれなりの量買えば、100グラム200円以内で買えることがある。
それを買う。(牛脂も忘れずにゲットする)
それを買うから、短時間に大量の腐れかけ牛肉を消費せねばならない。
だから、この季節は強制的に毎食スキヤキになる、という事情もある。
リビングに電熱器を持ち出してスキヤキに興じれば、その熱であったまるから光熱費の節約にもなる。
そんな生活を5日もすれば、もうスキヤキはうんざりだ、という贅沢の極みに達するのである。
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