子供を海に投げ捨てた話
YouTube「しくじり英語チャンネル」の主は、いつもウザイほどアメリカンで明るい情報を届けるのだが、今日の最新の投稿は暗かった。
祖母から告白された話だという。
1945年の終戦時、ソ連が攻めてきたので、急いで樺太から引き揚げる最中、自分の2歳の子供を、引き揚げ船から海に捨てざるを得なかった、という話だ。小さな子供は乗船禁止だったのに、密かに体に隠して抱いていたのだが、見つかってしまったからだ。
それで思い出したことがある。
1990年代だったと思う。新宿・住友ビルの「平和祈念展示資料館」のポスターを、水木しげるが描いていた。
そこには「自分の子供さえ捨てて、引き揚げてきた」というセリフと、モンペ姿の女性が描かれていた。
私は、それを西武新宿線の電車の中で見たのだが、数週間後に、「自分の子供さえ捨てて」が消えて、「取るものも取りあえず、命からがら引き揚げてきた」のような文章に変えられていた。
これは、ニュースにもならなかったと思う。私は、「自分の子供さえ捨てて」は残酷すぎると問題になって「自主規制」したのだろう、と感じた。
また、作家の宮尾登美子が、やはり引き揚げのときに、子供を捨ててくる話をしていた。
彼女は満州からの引き揚げ者だ。「子供を捨てざるを得なかった女性を責めてはいけない」という趣旨だったが、まるで自分の体験のようだと感じた。
しかしそれを、小説には書かなかったと思う。
欧米には「ソフィーの選択」のような小説があり、映画にもなった。
日本でも同じ悲劇がたくさんあったはずだが、小説やドラマになっていないのではないか。(もちろん、私が知らないだけかもしれないが)
「ひかりごけ」みたいな話より、もっと強烈に戦争の悲劇を伝えていると思うのだが。
それは、日本の戦後にとって、当事者たちにとって、あまりに恐ろしい事実で、触れてはならない秘密だったからかもしれない。
上の動画で言っている、子供と一緒に海に飛び込んだ母親のように、子供とともに死を選んだ人もいただろう。
しかし、他にも子供を抱えている、この祖母のような人は、残酷な「選択」をせざるを得なかった。
終戦時に若い母親であった人は、生きていたら100歳前後だ。
一生、その思い出に苦しんで、死んでいった人も多かっただろう。
ちなみに、上記「しくじり英語チャンネル」の祖母が、その告白とともに言い残したのは、
「戦争には負けてはならん」
「国は何もしてくれん」
の2つだったという。