コロナ明けの同窓会 〜理想の老後を求めて
先週末、学校の同窓生とその知り合いの十数人が久しぶり集まった。60代が中心で、女は少数、ほとんど男。
コロナで中断されていた集まり。ほぼ4年ぶりに会うメンツだ。
コロナ罹患者もいたが、大事に至った人はいない。
「おお、生きてたか」
「無事だったか」
と互いの生存を喜び合った。
ワクチン派も、反ワクチン派もいたが、みんなもうマスクはしていない。
「退職者」と「再雇用者」の差
だが、時間がたつうちに、会に微妙な空気が流れ始める。
60代が多いメンツの中に、「退職者」と「現役者」の両方がいる。
「現役」の中には、自営で現役の者や、再雇用で働いている者がいる。
学歴含め、だいたい同じような人生行路だったはずだが、ここに来て大きな差が生まれている。
これは、昨今の定年延長や再雇用で、顕著になった現象かもしれない。
自然に、「退職」組と、「現役」組で、グルーピングされていった。
なぜなら、
「再雇用でまだ働けたのに、なぜ退職したのか」
というのも、
「退職できる年齢なのに、なぜ働いているのか」
というのも、答えるには、厄介で微妙な問題だからだ。
表面的に現状を報告し合うのはいいが、そのあたりはお互い、あまり突っ込んだことは聞かれたくないし、聞きたくない。
だから、自然に2つのグループに別れた・・のではなかろうか。
(現役の若い人には、このニュアンスがわからないかもしれないが・・いずれわかる)
「生活水準」を落とす
私は「退職者」グループに入っていった。
私のように定年退職の者も、いわゆる早期退職を選んだ人もいる。
話を聞くと、経済的余裕があったから退職した者が1人もいないことに安心した。
退職した理由は、それぞれだろうが、みんな「職場や仕事にうんざりした」人たち(または、職場にうんざりされた人たち)だ。
再雇用された60代男が、職場で元部下と並んで窓口業務をやらされ、「元部下の態度が気に入らない」と、元部下の水筒に塩素系漂白剤を入れた最近のニュースに、みんな、
「わかるぅ」
と口をそろえる。
退職金をくらべ合うことはしなかったが、働かなくても、最低限暮らしていける経済状態なのだろう。
でも、みんなつましい生活をしている。
職場の近くから田舎に住み替えた人がおり、私もそのケースに近い。
なけなしの資産はすでに物価高で価値が目減りしている。年金が物価にちゃんとスライドするかも心配だ。
みんな、現役時代より生活水準を落としている。
昨今の物価高がなくとも、老後は生活水準を落とすのが当然だと、みんな了解している。
そして、生活水準を落とすのはそれほど大変ではなかった、という点でも話が合った。
そのことに、私はなんとなく安心して、みんなに「同志」感をもった。
「入学」や「入社」は一斉だが、「退職」はそれぞれであり、その意味で孤独なイベントだ。
「退職」というイベントについて、教えてくれる人は少なく、情報も乏しい。こういう機会に思いや情報を共有できるのはうれしい。
みな、つましいが、ほどほどに幸福な「老後」を始めている。
アンケートなどで「無職」に印をつけるのにちょっと傷つく、とか、業務スーパーに老人が増えた、酒はどこの激安スーパーが安いか、といった話で盛り上がった。
「ナリタの野郎!」
その後、両グループが再び合流して、盛り上がったのが、成田悠輔氏の「高齢者の集団自殺が日本の解決策」発言の話題だ。
もうマスコミ的には完全に忘れられた話題だと思うが、老人は執念深く覚えている。
「ナリタの野郎、生意気だ」
「あのガキ、許せん!」
成田氏は、日本の老人からそうとう恨みを買っている。
でも、
「気持ちはわかる」
という声もあった。自分たちも、上の世代に対して同じ思いを持った、と。
「そうだ、切腹すべきだとすれば、俺らより上の老人だ!」
「あいつらは俺らより恵まれている。年金も高くて妬ましい!」
と、高齢世代の内ゲバ(?)が始まる。
「悪いのは(邪魔なのは)我々以外だ」と考える人間の性(さが)は、いくら年をとっても変わらない。
「株式会社老人会」
あと、盛り上がったのは、地域の「老人会」の話だ。これには、自営で現役の人もかかわりがあった。
老人は、孤独な境遇だと寿命が5歳縮むと言われる。地域のコミュニティが重要であることは、みんな理解している。
ただ、地域の老人会も、最近は進化しているらしい。
ある人の地元の老人会では、学校で人生経験を話す、という「事業」を全国展開しているらしい。
その事業が拡大してきたので、その老人会は、若い人を雇おうという話もあるという。
「株式会社・老人会だなあ」
という声があった。
実際、老人会の役員職をめぐる「出世競争」もあるようだ。
そうなってくると、マジで会社と変わらない。
最近の老人は、元気なのはいいが、いつまでも「退職老人」になれないのも問題だ。
会社を退職して、地域の老人会に入り、また同じような世界が待っているとすれば、老人会を「退職」したあとに入る別の老人会が必要になる。
みんなまだ、(自分なりに)理想の「退職」、理想の「老後」を探している。
「生きているうちに、また会おう」
と言い交わして散会となった。
<参考>
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