「唐沢俊一」美談集
【訃報】
コラムニストで演出家の唐沢俊一さんが24日、心臓発作のため亡くなっていたことが30日、分かった。66歳だった。実弟で漫画家の唐沢なをき氏がX(旧ツイッター)で明らかにした。
なをき氏は「9月24日、唐沢俊一が心臓発作により自宅で亡くなりました。本日荼毘に付しまして葬儀は行いません。彼は俺に対して嘘、暴言、罵倒を繰り返してきて20年以上絶縁状態でした。晩年は金の無心も酷かったです。冷たく聞こえるかもしれませんがこの話はもうしたくないのでお悔やみの言葉はご遠慮願います」と投稿した。
続けて「孤独死でしたが、SNSで異常に気づいた方々が動いてくれて早期発見できたと聞いております。ありがとうございました」とつづった。
〝孤独死〟唐沢俊一さんの寂しき晩年 雑学王にほころび、コラムニストの仕事も激減(東スポWEB 2024/10/1)
【SNSでの人物評】
唐沢俊一氏はニフティサーブでお世話になった。2チャンネルより前にあったSNSの一つである。唐沢氏はフォーラムの管理人をしており、投稿者の迷惑行為を法的手段で訴えるなどしていたと記憶している。SNSから離れてもおかしくない煩わしさだったと思うが、死の直前までSNSに関わり続けた。意外に思った
今はなき深井駅前の「わんだーらんど」で、偶然手に取った唐沢商会『脳天気教養図鑑』。兄弟で特撮・都市伝説・偽史といった「無用な知識」を遊び楽しむ姿勢に、自分も生きていていいんだと思えた。一時追いかけながら相容れなくなった「唐沢俊一」。だがあの時、後押しをしてくれたことも確かである。
唐沢俊一氏についてどうにも複雑な思いがあるのは、彼の作品にはきわめて良いものが多いということ
唐沢俊一は、唐沢商会で書いた「脳天気教養図鑑」が大好きだったなぁ。
昔の大型書店には「サブカルチャー」というコーナーがあって、アングラ系、あまり上品でない旅行記、変わった趣味の発表、と学会インスパイア系といったものがたくさんあって変なオーラが出ていたが、世捨て人でも文章さえ書ければ食っていけるんだなと中学のとき思ってちょっと心強かった。
自分の人生に深く関わっている友人たちのデビューを、なにかと応援している唐沢俊一氏。 僕自身はまったく接点がなかった。単著は一冊も読んだことがなかったと思う。 何かの集まりでご挨拶くらいはしたことあっただろうか。共通の知り合いは多すぎる。 吉田豪さんのインタビュー集ではお隣にいた。
唐沢俊一氏といえばBSアニメ夜話の『ルパン三世 カリオストロの城』の回で「この作品から引用や先例のあるシーンを抜いていったら10分も残らない」などと指摘する場面が印象的だった。近年は残念な言動が目立っていたけれど、当時は素直に「へぇ~」と感心したことを覚えている。合掌。
唐沢俊一さんの訃報······ 色々な話は耳に入って来ているが、こぶしとしては某舞台で共演時に どんなボケをしてどう突っ込むか、どんな掛け合いをするか、稽古の度に話をし 「こぶちゃんゴメンね、俺ヘタだからとにかく全力でやるね」と嬉しそうにされていたのが忘れられない。 ご冥福を祈ります······
唐沢俊一が死ぬと、こんな感じだ。おとなしい。町山智浩が死んだら、こんなもんじゃねえからなあ。怒りの暴露しまくる人たちと、美味しい思いもしたからかばう人たちと入り混じる大炎上になるだろうね。見たいような、見たくないような。
唐沢俊一と西村賢太の死に様は美しすぎる
唐沢俊一氏。 晩年は真実を語り続けていた。 合掌。
唐沢俊一さん良い人だったけどなぁ…
<追記>
私としては常に少数意見を残したい。
というわけで、これまで「松岡正剛否定論集」「福田和也悪評集」を作成してきた。
唐沢俊一さんの場合、訃報への反応は悪口がほとんどだったので、逆に好意的な人物評価を集めようとしたが、きわめて少なかった。
どんな「悪人」「敗残者」「嫌われ者」にも、本人には必ず言い分がある。
というのは、私の変わらない信念だ。
直接の被害者が悪口を言うのは当然かもしれないが、第三者としては、将来の判定者のために、本人側の証人を集めておきたかった。
一つだけ。
唐沢さんは晩年、SNSで保守的なポストばかりをしていた。
「唐沢は、昔は北朝鮮の拉致を否定していたほどなのに、晩年はネトウヨ老人になって哀れだった」
みたいな評も多かった。
それには、ひとこと言っておきたい。
唐沢と私は同世代だ。われわれの世代は、1990年代まで、「北朝鮮の拉致などない」という、辻元清美がいた社会党の言を信じていたし、強制連行された従軍慰安婦がいたという、朝日新聞や毎日新聞を信じていた。
だが、社会党も、朝日・毎日新聞も嘘つきだった。左翼に裏切られたのが、われわれの世代である。
ネトウヨにならなければおかしいくらいだ。
<参考>