【Netflix】「人生って、素晴らしい」透析患者の恋と中国の臓器移植と河野太郎
【概要】
◆配信開始 映画『人生って、素晴らしい/Viva La Vida』(中国)
腎臓病を患い、人工透析で生き延びている生真面目な少女・リンミンの前に現れた超天然で自由奔放な青年・リュト。実は彼も悪性脳腫瘍という不治の病を患っていた。 2人は次第に惹かれ合い、心を通わせていく。
原題:我們一起揺太陽(Rock the sun 太陽を揺り動かそう)
中国本土で2024年3月公開、日本で4月に限定公開
【監督】韓延(ハン・イェン)
【出演】李庚希(リー・ゲンシー)、彭昱暢(ポン・ユーチャン)
予告編
【評価】
今年の中国映画が早くもNetflixに登場。8月30日から配信が始まった。
人生で恋愛が一度も成就したことがない私は、ラブロマンス映画など、けったくそ悪くて普段は見ないのだが、中国の透析や臓器移植事情に興味を覚えて見はじめた。
見はじめると、これがなかなかいい映画だった。
<ストーリー>
湖南省長沙市で旅行会社に勤める24歳のリン・ミンは、腎不全を発症し、週3回、毎回4時間の透析を受けている。
イケメンの彼氏と同棲していたが、腎臓病発症後に、彼氏は逃げていった。
(若いときの宮崎あおい似の童顔とはいえ、彼女は成人女性であり、Netflixが映画紹介文で彼女を「少女」としているのはおかしい)
食事や生活が厳しく制限される人生に疲れ、リン・ミンは、ネットの「脳腫瘍患者グループ」に、
「私に合う腎臓をあなたが死後に提供してくれるなら、あなたが死ぬまであなたと結婚し、あなたの死後はあなたの親の面倒を見てあげる」
という動画を衝動的に投稿するが、すぐに後悔して削除する。
だが、その一瞬の動画を見た、脳腫瘍患者のリュ・トという青年がコンタクトしてくる。
「君の話に乗ってもいいが、君が腎臓を提供するに値するか、君を観察してからだ」
と言うリュ・トは、膠芽腫グレード4でもう長くなく、リン・ミンに適合する腎臓の持ち主だという。
「あれは一時の気の迷いだから忘れて欲しい」
と言うリン・ミンだが、リュ・トはしつこくつきまとう。
なんやかんやあって、しだいにリュ・トに惹かれていくリン・ミンだが、ある日、リュ・トが、自分に腎臓を提供するために、脳腫瘍の治療を拒否して、死に急いでいるらしいことを知るーー
みたいな話。
原題の「太陽を揺り動かそう」は、雨や曇りの日は太陽が疲れて寝ているので、太陽を無理やり起こせば晴れになるーーという、病者の闘志を喚起する寓話をもとにしている。
邦題の「人生って、素晴らしい」は、副題の「Viva La Vida」を使ったわけだが、なんか邦題をつけるのに疲れて投げやりに決めたタイトルのようで、あまり素晴らしくない。
(私が邦題をつけるなら「君の腎臓を嗅ぎたい」かな)
*
話だけ聞くと、いかにも「お涙ちょうだい」に思えるだろうが、コメディ要素をまじえた巧みな脚本で、2時間あまりを退屈することなく見ることができた。
リン・ミンとリュ・トという、主役二人のキャラクター作りがよくできていて、嫌味がない。
リン・ミンを演じる、実年齢も24歳(2000年生まれ)の女優、李庚希(リー・ゲンシー)のフレッシュな魅力が光っている。中国でもそこそこのヒットとなったらしい。
この映画を撮った韓延(ハン・イェン)という監督は、変な人で(?)、病人が主役の映画ばかり撮っているらしい。なにか事情があるのかもしれない。
とくに前半は、腎臓病患者のテクニカルなデテールをうまく説明・描写していて、興味深かった。
だが、後半、ラブロマンス要素が強まるにつれ、病者のリアリティが後退してしまう。
それで、傑作になる一歩手前で終わってしまった印象。惜しい。私の採点は、100点満点で70点。
*
それでも、中国の臓器移植事情について、勉強になった。
中国では、リン・ミンが試みようとしたような、臓器の私的な取引は、もちろん違法である。日本でもそうだろう。
臓器移植は、国や医療機関によって厳しく管理されている。だが、だからこそ、違法な臓器売買もはびこる。
家族の中に、適合する臓器の持ち主がいれば、まだ話は容易だ。同じ家族なら、その臓器を優先的にもらい受けることができる。
だが、家族の中に適合する臓器の持ち主がいない場合、アカの他人の臓器が自分に回ってくるのを待つしかない。それが実に不安定で、気の長い話になるのだ。
だから、この映画のように、結婚して家族になれば、ドナーにとってもレシピエントにとっても、臓器移植が容易になる、ということになる。
ただ、こうした臓器移植の事情は、国によって大きな違いがある。
私がそれを知ったのは、Netflixで昨年見たドキュメンタリー「エマージェンシー:ニューヨーク」だった。
アメリカでは、臓器移植が、わりあい普通におこなわれている。
職場の仲間が、透析で苦労して気の毒だから、同僚が腎臓を提供したりする。
「二つあるから、一つは知り合いにあげる」という感覚なのだ。
アメリカやヨーロッパの諸外国にくらべて、日本の臓器提供は極端に低調で、ほぼ2ケタの差がある。
アメリカでは、人口3億3200万人に対して年間約1万4000人が死後に臓器提供しており、臓器移植件数は約4万件です。
一方で、日本では、人口1億2000万人に対して、死後に臓器提供する人は年間100人前後(臓器移植件数は600件程度)となり、アメリカやヨーロッパの諸外国等と比較しても格段に少ないのが現状です。
(日本臓器移植ネットワーク)
上の資料に、中国は出てこないが、この映画を見るかぎり、やはり少ないのではなかろうか。
なんとなく東アジアは、「家族や親戚だったら臓器を提供してもいいけど、他人にはイヤ」みたいな感覚が強いのかもしれない。
そういう感覚は、私にもあるから、そう思うのだ。
(日本では、平成22年の改正臓器移植法で、親族への優先提供の意思表示ができるようになっている)
でも、それでは、臓器提供を待つ日本やアジアの人たちが気の毒だ。
だからといって、違法な臓器売買をはびこらせるわけにはいかないから、意識を変えていくしかない。
*
そこで、私が期待していたのが、河野太郎だった。
彼が、日本の臓器移植の意識を大きく変えてくれるのではないか、と。
彼は、ご承知のとおり、父親に肝臓を提供している(生体肝移植)。
それで、一時期、臓器移植について、積極的に発言していた。
彼は、提供する側の不安やリスクを理解したうえで、臓器移植法を改正し、日本で臓器移植が増えるようにする、と言っていた。
だが、いつの間にか、言わなくなった。
彼の目的も結局、親族の臓器移植をやりやすくするまでで、それ以上の広がりを持たなかったのかもしれない。
総裁選で苦戦している河野太郎だが、今からでも臓器移植で積極的に発言すれば、支持者が増えるのではないか。
私はまだ河野太郎に期待しているのである。
<参考>