名作映画『ルルドの泉で』が、変な宗教に悪用されている
怪しい団体の名前に・・
都市伝説やオカルトを取材する人気YouTuber、都市ボーイズが、島田秀平の番組にゲスト出演した時、「ルルド」という新宗教団体のことを話題にしていた。
この「ルルド」なる団体の詳しいこと(なんと小便を飲ませて信心を試すようなことをしている)はYouTubeで見てもらうとして、私の関心を引いたのは、その団体名「ルルド」が、映画『ルルドの泉で』から来ているらしい、ということです。
以下、都市ボーイズの早瀬康広氏が、「ルルド」の名前の由来を説明するところの書き起こしです(上の動画の終わり頃、1:18:00あたり)。
『ルルドの泉で』という映画は、少女が主人公なんですけど、その方は首から下が動かない。でも(ルルドの)泉を浴びたことによって奇跡が起きて動き出すんですよ。だけど、周りの方は、「なんであの人が」と嘲笑し出す。バカにするんですよ。なんであの子が、おかしいでしょう、うちの子の方が(奇跡に値するのに)と。
その(「ルルド」という団体の)方というのは、その少女側でありたい、と。奇跡を受ける側でありたい、と。信じているけれど、受けられず、バカにするような側になりたくない、と。少女側でありたい、ということで「ルルド」という名前をつけたんですね。
(書き起こし終わり)
この団体は、『ルルドの泉で』の「奇跡を受ける側」になることを目指して、怪しげな修行をしている。どうも、その修行を続けると、自分たちが「神」になれると思っているらしい。
『ルルドの泉で』は、私の大好きな映画で、公開時にミニシアターで見て以来、DVDを買って繰り返し見ています。
何度見ても、新しい発見があり、新しい感動があり、新しい癒しがある。こんなに素晴らしく、意味深い映画は、そうそうないと思います。私にとってとても大事な映画なのです。
それだけに、こういう怪しい宗教団体に関連づけられるのはショックだし、ガマンならんのです。早瀬氏がこの団体に接触したのは少し前らしく(2020年ごろ?)、今現在どうなっているかはわからないが、ひとこと言わないわけにはいかないですね。
この宗教団体は、『ルルドの泉で』という映画を、根本的に誤解している。それを以下に書きたい。
『ルルドの泉で』について
『ルルドの泉で(原題 Lourdes)』は、オーストリア出身の女性監督、ジェシカ・ハウスナーの2009年の映画です。脚本も彼女。オーストリア=フランス=ドイツ合作映画で、言語はフランス語。ウィーン国際映画祭で最優秀映画賞を取りました。
都市ボーイズの早瀬さんは、少女が主人公のように言っていますが、上の予告編を見てもらえばわかるとおり、主役のシルヴィー・テステューは「少女」とは言えないですね。
彼女の介護士役で、のちにボンドガールになるレア・セドゥの可愛らしさも注目を浴びました。日本人はなかなか訪れる機会がないであろう、フランス随一の聖地「ルルド」(聖母マリアが顕現して奇跡が起こったとされる土地)の風景の美しさ、宗教施設の細かい様子を見られるのも値打ちです。日本では2011年に公開されました。
教会と無神論者の両方から支持された映画
まず、この映画が、奇跡を描いているというのは、最初から間違いですよ。
上の予告編では、主人公の女性に奇跡が起こるかのように紹介している。
それは、そう宣伝しないと映画に客が入らないからでしょう。ルルドといえば奇跡だから。
ネタバレになるから詳しくは書きませんが、実際には奇跡は起こらない。
少なくとも、それを奇跡だと明確には言えないように描いている。
奇跡の存在を、肯定も否定もしない、というのがこの映画の立場です。
どちらかというと肯定している、という見方は可能でしょう。そういう構えの映画だとは言える。そうでないと、ルルドで撮影許可が下りなかったでしょう。この映画は、カトリック教会の後援を受けています。
神の存在というか、キリスト教的な世界観を肯定して描いているのは確かです。
でも、それを、奇跡を描くことで示しているわけではないんですね。神もマリア様も出てこない。そこが、この映画のミソなんです。
この映画は、ヴェネチア映画祭で2009年度の「ブライアン・アワード」を受賞しました。「ブライアン」は、モンティ・パイソンの1979年の映画「ライフ・オブ・ブライアン」にちなんでいます。賞を設立したのは、イタリアの「合理主義・無神論・不可知論者連合(Union of Rationalist Atheists and Agnostics)」です。
この賞は、キリストをパロってキリスト教会の抗議を招いた「ライフ・オブ・ブライアン」のような、むしろ反カトリックというか、啓蒙的、理性的な映画(人権や平等を重視した映画)に与えられる賞です。
カトリック教会の後援を受けながら、それと対立する無神論者たちからの賞も受けている。布教的、護教的な映画ではなく、宗教映画らしくない映画であり、宗教と関係なく見ることもできるし、宗教的なメッセージを受け取ることもできる。
この映画は、そういう非常にユニークで奥深い映画です。なので、本当に、見る人によっていろいろな見方がされるのだと思います。
神の視点
では、宗教映画として見た場合、奇跡を描かずに、どこにこの映画の宗教性があるかというと、「ルルドの奇跡」をめぐる人々の思いや行動を「等しく眺める」視点にある。
この映画は、食堂を天井あたりから撮るシーンから始まる。そこに、ルルド巡礼に来た人たちが集まってくる。カメラの位置は変わっても、「上」、つまり神の位置から見ている視点は、そこから最後まで一貫します。
この映画は、誰か1人の登場人物に自己同一化するようには描かれていないんですね。主人公らしき女性はいるが、必ずしも彼女の視点から描かれているわけではない。そもそも、彼女の来歴とかは全く説明されていない。
ルルド巡礼でたまたま一緒になった集団の1人に、奇跡らしきことが起こり、人々の間にざわめきが起こる。驕りや、嫉妬の感情も、その一部だけど、そのどれかに感情移入して描いているわけではない。誰が正しいとか、誰が間違っているとかを言いたくない映画なわけです。
つまり、
神の目からは「特別な人間」はいない。
ーーという世界観を表している。
神は、地上を、人間をーーその幸福も、不幸も、平等に、暖かく見守っていますよ、というメッセージは、最後まで見れば、明らかだと思うんですけどね。
そういう「特別な人間はいない」と言いたい映画なのに、この「ルルド」という団体のように、この映画を見て、「自分は特別な人間=神になりたい」というのは、誤解、曲解、正反対の理解なわけです。
そして、この「特別な人間はいない」という世界観は、理性的、啓蒙的な世界観でもある。
自分とか、特定の誰かとかを特別だと思うのは主観的な価値観で、客観的に見れば、誰も特別ではない。アインシュタインは、自分を本当に客観的に見られたら、それが科学のゴールだと言ったけど、それは神の視点を得ることと同じです。ここで、宗教的な世界観と、啓蒙的な世界観が一致するわけです。
神のような視点から見れば、特別な人間はいない、という見方に、私は癒しを感じます。自分がどのような人間だろうと、存在そのものが許されているという感覚とともに、人間はみな同じだという同志的感情も覚えます。
精霊のメッセージ
この映画には神もマリア様も出てきませんが、実は「精霊」は出てくる。
映画の中で、いつも主人公の近くにいて、彼女の振る舞いを見守っている初老の女性がいる。彼女は主人公のルームメイトなんだけど、介護士が遊びに行っていなくなったときは、代わりに主人公の車椅子を押したりしている。しかし、この初老の女性は主人公とほとんど会話せず、ストーリーのメインの部分にも絡まない。
何度も見るうちに、この地味なおばちゃんが「精霊」なんだとわかってきた。映画の中で、このおばさん(演じているのはジレッタ・バルビエ)だけが、自分や自分の家族のことではなく、他人のことを考えている。それは三位一体の神だからでしょう。人間を見守って神に導く存在です。
この世に神や聖人がいるとすれば、そういう地味な存在ーー誰からも注目されず、人知れず善行を積むような人でしょう。地上で栄光を浴びるような人ではないから、俗人はその存在に気づかない。
この映画を見たことがあるという人も、もう1度、最初からこの「おばさん」に注目して見てみることをおすすめします。監督は、このおばさんを、できる限り画面の中に、しかも画面の中央というより片隅に、入れようとしています(上の予告編でもそれがある程度わかります)。さりげなく、彼女の存在に注目させたいのです。
「和光同塵」ではないけど、聖人とはそういう目立たない存在だというのは、キリスト教だけでなく、仏教とか道教とか、いろんな宗教・思想の一致するところですね。そういう存在を描きこんでいるところにも、宗教的メッセージがあります。
この映画のラストシーンは、冒頭のシーンと同じ、食堂です。巡礼の最終日で、その食堂はお別れパーティの会場になっている。その賑やかなパーティ会場の片隅に、主人公の女性が孤独にたたずんでいる。その顔には、心の葛藤が表れている。この映画は、その彼女の耳元に「精霊」のおばさんが何かささやいて、彼女の表情が緩む、というところで終わる。
何をささやいたのか、映画を見ている者には聞こえない。その聞こえない「神」のメッセージを、観客に想像させるところに、この映画の奥深い宗教性がある。
「ルルド」という宗教団体の人は、この映画のそういう宗教的メッセージはすべて見逃しているとしか思えない。宗教の名に値しないでしょう。
以上は、事実を述べた部分以外は、言うまでもなく私個人の見方にすぎない。映画の見方は自由です。
とはいえ、私の愛する『ルルドの泉で』という名作の名を、これ以上汚さないでほしい、と思ったのでした。
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