祝・開花! その名も「さくら公園」に行ってみた【川崎市麻生区】
やはり予想どおり15日に横浜も開花。
昨日16日、麻生川の桜も、開花していました。
4年ぶりの花見解禁、ということで、麻生川桜まつりは盛り上がるんじゃないかと思います。
でも、せっかくだから、今年は、麻生川だけでなく、麻生区の他の桜の名所も訪ねたいと思っているんですね。
以前、「街登山」で紹介した、細山の香林寺も桜の名所ということなので、行ってみようと思っています。
その名も「さくら公園」
それで、麻生区の地図をぼーっと見ていると、
「王禅寺さくら公園」
というのが目に入ったんですね。
さくら公園!
それは、さぞかし桜がきれいであろう。
これは行かないわけにいかない、というわけで、昨日は天気も良かったので、早速行ってみました。
住所は、「王禅寺東」ですね。
実は「王禅寺東」には、前から行ってみたかった。
「王禅寺東」は、麻生区の秘境というか・・・秘境というと、住んでる人が気を悪くするかもしれないけれど、麻生区の「最深部」と言っていい。
早野聖地公園(墓地公園)の近くで、宮前区や、横浜市青葉区にほど近い。
どの鉄道の駅からも遠い。小田急線の「新百合ヶ丘」や「柿生」から徒歩30分、東急田園都市線の「あざみ野」や「たまプラーザ駅」から徒歩1時間くらいのところです。
実際、昔は文字どおりの秘境だったと思います。
「化粧面」「死人坂」
王禅寺周辺のこのあたり、昔は王禅寺村と言っていました。
そして、1981年に多摩区から麻生区が分かれるまでは、「多摩区王禅寺」でした。
そこに、詩人の高良留美子(1932ー2021)が引っ越してきます。
1970年代のことと思われます。1974年に新百合ヶ丘駅が新設されて、このあたりがちょうど開発され始めたころでした。
高良留美子は、失われゆく自然への愛惜を「しらかしの森」(1981)などの詩集で描いています。
杉山康彦の『川崎の文学を歩く』(1992)で知ったのですが。
高良留美子は、この地の次のような地名を詩に歌い込んでいます。
瓦谷(かわらだに)
鍛冶谷(かじやと)
化粧面
籠口(ろうぐち)
死人坂(しぶとざか)
これらは、開発によって、消えた地名です。それでも、「死人坂」以外は、緑地や公園の名前などで残っていますが、正式な地名ではなくなりました。
「死人坂」はさすがに不吉だったのか、完全に消えた地名です。白山神社から王禅寺に向かう坂をそう呼んだようです。
「人と獣だけが通ることのできるその道を/なぜ死人坂というのか誰も知らない」「この土地に生まれ 死んでいくわずかな人たちの胸に生き/死人坂という 名前だけが/冬の風に吹かれて/一枚の紙切れのように舞いつづけるのだ」
(高良留美子「死人坂」)
杉山康彦によれば、白山・王禅寺、それから現在横浜市青葉区で佐藤春夫「田園の憂鬱」の舞台として知られる「鉄(くろがね)町」、そして現在、町田市三輪と青葉区奈良にまたがる「こどもの国」あたりまで、鉄と鍛冶の地だったようです。
「鉄」「鍛冶」「たたら神社(たたらとは鍛冶で使うフイゴ)」などの地名でそれがうかがわれます。「奈良」「三輪」などの地名も、大和から鍛冶職人が来たからではないか、と。
「鉄」とともに、もう1つのキーワードは「骨」だと思います。
「籠口」は「牢口」とも書いたらしい。「瓦」には「骨」の意味もあります。そして「死人坂」があり、現在は早野の広大な墓地がある。
伝染病の人を隔離したり、罪人を閉じ込めたり、その骨を焼いたり・・といった伝承を、高良は詩の中で暗示しています。
まあ、坂口安吾の「桜の森の満開の下」ではないけれど、「桜」には、そういう話もつきものではないでしょうか。
それについては、また改めて書きたいと思います。
さくら公園
いずれにせよ、今はきれいに開拓されて、整然と一軒家が並ぶ高級住宅街になっています。
山口台と同じように、景観を大事にした建設規制があるみたいですね。その人工性が、逆に、わりと最近まで自然豊かな土地だったことをしのばせます。
コンビニなども見当たらず、静かな一帯です。閑静すぎる住宅街というか。
新大谷(ニューオータニ?)の交差点あたりから、緩やかな勾配となり、このあたりが台地だったことがわかります。
少し道がわかりにくかったですが、王禅寺中央中学校の近くに、「さくら公園」はありました。
桜はまったく開花しておりませーん(16日現在)。
せまい公園で、きれいに整備されていますが、人っ子ひとり見当たりません。なんか淋しかったです。
やはり、麻生川とは高度が違うので、開花が少し遅いのでしょう。
それでも、桜が満開になれば、この公園に地域の人が集うのだと思います。
また行ってみたいと思います。