年金支給日
昨日、私がスマホに入れている家計アプリが「ピロリン」と鳴った。
「大口の入金がありました」
という通知がある。
2か月に1度の、年金の支給日だったのだ。
「大口」とは大げさな、と思う。
たぶん、金持ちの感覚でいう「大口」より、2ケタ以上少ないだろう。
私の年金額は、世間並みか、それ以下だ。
だが、私の家計の中では「大口」にちがいない。
そもそも、年金以外は、カネは出ていくばかりで、入ってくること自体が珍しい。
働かなくてもカネが入ってくる、ということに、いまだに慣れない。
なんか、照れる。
というか、むずがゆいような気持ちになる。
不自然に感じ、居心地が悪い。
実家が太く、土地や株を持つ、生まれつきの金持ち、資産家というのは、働かなくてもカネが入ってくるのが当たり前なのかもしれないが。
私の場合、働かなくてもカネが入ってくるのは、学生時代の親からの仕送り以来だ。
あらためて親には感謝の念がわくが、仕送りでは足らず、結局いつもアルバイトをしていた。
奨学金も借りまくり、街の学生ローンからも借りた。
就職して働き始めてからも、それらの返済が続いたから、なかなか貯金ができなかった。
まあ、それは世間並みの苦労であろう。
私がバカだったのは、「年金」というのがあることを、わりに後になるまで知らなかったことだ。
だって、学校で習わなかったし、入試にも出なかった。「年金」なんてものの存在は。
人は、退職後は、貯金と、親の残した遺産で、何とかやっていくのだろう、と漠然と思っていた。
若い時は、何となく自分は早死にするだろうと思ってたから、退職後に長い時間があることなど考えなかった。
給料から毎月差し引かれる分は、社会の私より貧しい人を助けるために必要なのだろう、くらいに思っていた。
そんなバカだったから、サラリーマンでよかった。旧大蔵省、現国税庁だか社会保険庁だか知らないが、問答無用で、強制的に、厚生年金負担分を、給料から天引きしてくれていたことに、感謝せざるを得ない。
後で、長年にわたり、自分はこんなに払ってたんだ、と驚いた。
みな年金の少なさに文句を言うが、私には十分だ。
ぜいたくは身に付かなかった。酒も飲まない。ギャンブルもしない。吉野家の牛丼がたまに食えるくらいで満足だ。
働かなくていい、というだけで、天国のように思える。
SNSで「人身事故」がトレンドワードになり、通勤時間帯に小田急線が止まったというニュースを知るたびに(しょっちゅうある)、働いていない自分の幸運を神に感謝したくなる。
私も、退職した当初は、旅行をしたい、とか、新しい趣味を持ちたい、とか、いろいろ考えたが、だんだんそういう気はなくなった。
私は単身者だ。自分用の食事をつくり、そのための買い物をし、あとは図書館で本を借り、音楽を聴いたり、テレビで映画を見たり、残りの時間に散歩と、昼寝をしたりしていれば、1日が終わる。
その単調な1日の繰り返しだから、それほどカネは使わない。それで十分に満足するようになった。
年をとるとはそういうことだ、と学んでいった。
ときどき思うのは、働かなくてもいい、単調な日々の繰り返しだと、刑務所に入っているのと変わらないかもしれないということだ。
まあ、自由がきく刑務所生活というか。
いや、普通は刑務所でも、労務(刑務作業)はあるというから、むしろ労務がない、執行を待つ死刑囚の身分に近いだろうか。
働かなくてもいい、単調な生活の繰り返し。死を待つのみで、その死を自分でコントロールできないのも同じだから、死刑囚の身分と、限りなく近似と言っていいと思う。
でも、悪くない死刑囚だと、年金支給日のたびに思っている。
<参考>
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