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アメリカはなぜ共産主義国にならなかったのか? 映画で見るアメリカの裏面

私は老人だから、まあ終活の一つで、過去の原稿を整理しています。

そしたら、25年前に、アメリカの政治映画について書いた小論が出てきました。

未発表なので、その中の一部を改稿して、以下に載せておきます。


当時の未翻訳の洋書を、けっこう読んで書いた記憶があります。

基本的にはアメリカの政治映画史を書こうとしたのですが、その背景を説明するため、アメリカの左翼史に多くの文字数を割いています。

また、アメリカの左翼の勃興期から、日本の社会主義者たちと関連があったことが調べていて分かり、私には発見でした。


映画が好きな人の参考になるかもしれないし、今回のトランプ再選の背景含め、アメリカを理解する一助になるかもしれないから。

(以下は、昔の原稿を、現在の視点を加筆してアップデートし、口語体に変えています)


アメリカへの根本的疑問 なぜ共産主義国にならなかったのか


アメリカは、反共的な国だとされている。

私は冷戦期に生まれ育ったから、とくにアメリカは、資本主義のチャンピオンで、反共主義の牙城という印象が強い。


しかし子供の頃から、アメリカ映画を見ると、アメリカには別の面があることを感じていました。

映画の中のアメリカは、リベラルであり、理想主義的で、平等主義的なのですね。

アメリカ映画を通してアメリカが好きになった人は、無意識的に、そうした「左翼的」なアメリカに惹かれていると思います(町山智浩氏に典型的なように)。


つまり、映画で見る限り、アメリカは「左翼」っぽいのです。それが、現実政治や国際社会のなかでの、アメリカの反共主義と矛盾しているように思えました。

そんな矛盾を感じ、疑問を持った人は、私だけではないのではないでしょうか。

とくに、私が子供の頃、1960年代から70年代のアメリカ映画は左翼っぽく、アメリカの保守っぽい人たちを、愚かで時代後れに見せるような映画(たとえば「イージーライダー」のように)が多かったですから。


今では、ハリウッドに左翼リベラルが多いことは知っていますし、1970年前後のいわゆるニューシネマが、フランスのゴダールなどの60年代左翼の影響を受けているのも知っています。

その後、ハリウッドでも、保守主義者が声をあげ始めましたが、左翼リベラルが多数派であることは変わりません。

今度の大統領選を見ても、映画を主に作っている西海岸と、東海岸は、民主党支持者が多かったですね。


ところが今回、アメリカの労働者は、そうした「ハリウッド・リベラル」の言うことを聞かず、トランプを支持しました。

労働者は、ハリウッド映画のファンではないのでしょうか。

そこでまた、アメリカの「左翼性」の方向性が、わからなくなってしまうのですね。


平等主義(egaritalianism)という点では、たぶん、清教徒たちのコミューンから発したアメリカには、もともと平等主義への強い傾きがあるのではないでしょうか。

君主から逃れ、君主を置かず、理念的には、だれでも大統領になれる国です。特権階級、「システム」、ディープステイトのようなものには、定期的に反発が起きています。


その平等主義が「左」に振れれば、理想主義的になり、共産主義的にもなる。

それが「右」に振れれば、陰謀論的になり、ポピュリズム的になる。


根本にあるのは、保守とかリベラルとかいうより、アメリカ独特の平等主義なのではないでしょうか。

それが今回は、たまたま「右」に触れただけ、と見ることができます。


だとすれば、思い切り「左」に触れていれば、アメリカが共産主義国家になった可能性もあったはずです。

「革命」によって建国し、国の「伝統」がなく、王様や貴族のいないアメリカならば、その可能性は、むしろ他国より高かったのではないでしょうか?


こうした疑問は、それほど突飛ではなく、アメリカ人自身もよく問題にしています。

たとえば、たまたま今、目についたものですが、以下のような論文がネットにありました。↓

Why Socialism Failed in the United State(Seymour Martin Lipset, 2000)https://www.aei.org/research-products/speech/why-socialism-failed-in-the-united-states/


また、昨年(2023年)、アメリカでベストセラーになったジェシー・ケリーの「反共宣言 The Anti-Communist Manifest」という本では、アメリカには共産主義の流れが実在し、それが黒人暴動や、フェミニズムや、LGBTQなどに姿を変えて続いている、と論じています。



アメリカには、実際に「共産主義」的な側面があるのです。

ところが現実には、アメリカは共産主義革命どころか、社会主義政党が政権に入ったことすら一度もありません。

他の先進国の多くが、日本を含め、社会主義政党が政権に入ったことがあるにもかかわらず。


やっぱり、アメリカは根本的に変な国だと思います。

そうしたアメリカの「例外性」は、依然、問題にできます。

以下は、この問題への解答ではありませんが、アメリカの左翼性がどのように「潜伏」していくか、映画を通じての説明ではあります。


ロシア革命前後までの状況


アメリカ大統領を目指したマルスク主義者


実際、アメリカが共産化する可能性は、ゼロではありませんでした。

19世紀後半から20世紀に入ったばかりの先進工業国を振り返れば、どこにおいても労働運動が激化していました。

アメリカも例外ではなく、「プルマン・ストライキ」(1894)など凄まじい争議が発生しています。


シカゴのプルマン車両会社で起こったストライキでは、暴徒が街を支配し、最終的にグロバー・クリーブランド大統領が、連邦軍を使って鎮圧しなければなりませんでした。

ちなみにこのクリーブランド大統領は、トランプ以前に、中断を挟んで大統領を2期務めた唯一の大統領です。プルマン・ストライキは、その2期目の出来事でした。


プルマン・ストライキを率いたのが、労働運動家のユージン・デブスです。

彼は逮捕されましたが、獄中でマルクスを読んでマルクス主義者になります。

彼が仲間と1898年に設立したのが「アメリカ社会民主党」です。

彼らは公然と、資本主義の廃棄と、社会主義への移行を唱えていました。


アメリカ社会民主党、のちアメリカ社会党のデブスは、1904年から1920年にかけて、5度大統領選に出馬し、つねに3位か4位の票を得ていました。

最も有望とされた1912年の大統領選挙では、ウッドロー・ウィルソン(民主党)、セオドア・ローズベルト(進歩党)、ウィリアム・タフト(共和党)という強敵ぞろいを相手に、ほとんど資金のない状態で戦いました。

結果は、大差をつけられての4位でしたが(ウィルソンが当選)、この時に得た得票率6%は、社会党の最高記録でした。労働者の多くはウィルソンに投票しました。もしその票がデブスに行けば、結果は違ったかもしれません。


Eugene Victor Debs(1855ー1926)


デブスはその後、1917年の第一次世界大戦へのアメリカ参戦に抗議し、反戦演説をおこないますが、それが反スパイ法で引っかかり、10年の懲役になります。だから1920年には、獄中からの大統領選出馬になりました。

(だから、有罪の犯罪人が大統領に立候補したことは、トランプ以前にもあった)


このユージン・デブスが活躍した時代は、日本では明治の終わりから大正時代に当たります。

日本では大逆事件で幸徳秋水が処刑され(1911年)、彼の盟友だった堺利彦が共産党結成に動いていました。同時期に、片山潜はアメリカに亡命し、アメリカ共産党結党に協力しています。


また、アメリカには、金子喜一(1876ー1909)のような日本人社会主義者もいました。

同志社を卒業してアメリカに留学し、アメリカで社会主義者になった金子は、アメリカ人の妻ジョセフィン・コンガーと、1907年に「社会主義女性 The Socialist Women」という雑誌を創刊しました。初めてフェミニズム的視点でつくられた雑誌の一つで、金子とコンガーは、アメリカ左翼史とフェミニズム史に名を残しています。


また、1910〜1912年ごろのアメリカ社会党大会では、日本人含むアジア人の移民問題がクローズアップされ、「日本人に土地を所有させるな」というアメリカの労働者の声が、社会党のなかからも起こりました。

しかしユージン・デブスは、こうした移民排斥の提議を「非社会主義的で反動的」「ブルジョアの言い分と変わらない」と厳しく批判し、日本人移民の権利を擁護しました(近藤淳子「アメリカの社会主義運動と日本の移民問題」)。

だから、日本人はデブスに、多少の恩義を感じてもいいと思います。


(しかし結局、1924年にアメリカで排日移民法が成立し、それまで英米派と呼ばれた日本人まで憤激させました。新渡戸稲造も「二度とアメリカの土は踏まない」と怒りました。この時に生まれた反米感情が太平洋戦争につながったと言われます。)


同時期、日本の堺利彦も、民族差別や人種差別(とくに日本以外のアジア人蔑視)をする社会主義者を非難しました。

右翼でも左翼でも、民族差別や人種差別をする人もいれば、しない人もいる。それは主義や思想ではなく、まさに人間性の問題に思えます。


左翼とポピュリスト


ところで、第一次世界大戦時の当局の弾圧と、1917年のロシア革命の発生にともなう世論の変化で、アメリカ社会党は力を失っていきました。

しかし、片山潜らが協力して、新たに生まれたアメリカ共産党が、アメリカの左翼を引き継ぎ、非合法化されたにもかかわらず、大恐慌を背景に党員を増やしていきました。

片山潜(1859ー1933) アメリカ共産党、メキシコ共産党の創立に関与し、ソ連に渡ってコミンテルン幹部となった


その共産主義運動に対抗するため、ローズベルト大統領のニューディール政策が登場します。

そのニューディーラーの中にも、親ソ派の左翼が多かったとされます。

その一部が、のちに日本の占領政策に関わり、その理想主義が日本国憲法にも反映されるーーという流れになるわけですね。


そのフランクリン・ローズベルトが大統領になる前、ライバルとされたのがルイジアナ州知事のヒューイ・ロングでした。

彼は、極端な累進課税によるアメリカの「平等化」を唱えました。

社会主義者のようですが、アメリカ政治史で「ポピュリスト」の代表とされる人です。

ポピュリズムそのものは、1892年に創設された人民党(People's Party)に由来します。「ビッグビジネス」への反感や、労働者の立場に立つところなど、社会主義としばしば混同されました。しかし、ポピュリストは基本、反共です。


ロングは、民主党の大統領候補としてローズベルトに勝つ可能性があったのですが、その前に暗殺されました。

彼の暗殺を描いた映画「オール・ザ・キングスメン」(1949)は、1950年度のアカデミー作品賞を受賞しました。しかし、GHQが日本での上映を禁止したのは有名です。

日本人に、アメリカの民主主義を理想化して教育中でしたから、アメリカ民主主義の暗部を見せたくなかったのです。



反ユダヤ主義と反共主義


話はさかのぼりますが、1910年代に映画産業を作った人たちは、ユニバーサルピクチャーズのカール・レムリや、パラマウントのアドルフ・ズーカーら、ヨーロッパから渡ってきたユダヤ人が多かった。

今でこそ、ハリウッドは左翼リベラルの牙城とされますが、当時、映画を含むアメリカの初期のエンターテイメント産業は「ユダヤ人の牙城」とみなされていました。


そして、ユダヤ人はしばしば共産主義者と同一視され、ロシア革命もユダヤ人が起こしたと当時は言われています。

反ユダヤ主義であり、反共主義者でもあったヘンリー・フォードの新聞は「共産主義者の75%がユダヤ人である」と書きました。

「自動車王」ヘンリー・フォードは、ナチス・ヒトラーの後援者だと言われました。しかし、1920年代後半から反ユダヤ主義を反省し、ナチスとの関係も否定します。


いずれにせよ、初期ハリウッドでは「ユダヤ的」な映画が多くつくられました。

サイレント期の「ベン・ハー」(1925、古代のユダヤ人の反乱物語)、最初のトーキー映画ともされる「ジャズ・シンガー」(1927、ユダヤ人の少年がジャズ歌手になる物語)などがその代表とされます。


そのユダヤ人の伝統とは別に、1910年代の社会主義者たちは、映画をプロパガンダの有力な手段と考えていました。

だが、実際にこの時期に作られた政治映画は少ないようです。


1914年におこなわれた初期のアメリカ映画の分類では、4249作品中、政治映画は19本だけであり、労働者側の映画が7本、反労働者側の映画が6本、ポピュリスト映画が6本でした(Behind the Mask of Innocence, p433)。

数少ない社会主義映画の一つである「なぜ Why?」(1912)では、過酷な児童労働の問題などがあつかわれています。

一方、ロシア革命の後は、「裁かれるボルシェビズム Bolshevism on Trial」(1919)のような反共映画もつくられるようになりました。


でも、こうしたサイレント期の映画を、現代のわれわれが見ることはまずないでしょう。


アメリカの社会主義者を描いた映画


現代のわれわれが鑑賞できる、この時代のアメリカを描いた映像作品としては、以下のものがあります。


いわゆる「ローリング20s」以前の、労働争議が多発した頃のアメリカを描いた映像作品として、当時の有名な労働問題弁護士、クラレンス・ダローを描いたテレビ映画「告発弁護人 Darrow」(1991)があります。

ダローを、無名時代のケヴィン・スペイシーが熱演し、アメリカ社会党のユージン・デブスも登場します。

当初はアメリカでもビデオ化されなかった地味な作品でしたが、日本ではレンタル全盛期にビデオ化され、それで私も見ました。一見を勧めたい作品です。


1917年のロシア革命直後、アメリカでは最初の大規模な赤狩りがおこなわれました。

その時、冤罪事件として有名なサッコ=ヴァンゼッティ事件が起きます。

イタリア移民でアナーキストのサッコとヴァンゼッティは1920年、マサチューセッツの強盗殺人事件犯人として捕まり、偏見による冤罪だと抗議活動が世界中で起こるなか、1927年に死刑になりました。

この事件は「死刑台のメロディ」(伊・仏・米合作映画 1971)の題材になりました。(冤罪であるかは今なお議論が続いています)


また、ロシア革命当時のソ連シンパのジャーナリストで、アメリカ共産党の設立者の一人であるジョン・リードの生涯を描いた「レッズ」(1981)があります。ジョン・リードをウォーレン・ベイティが演じました。

ジョン・リードのロシア革命ルポ「世界をゆるがした十日間」は岩波文庫に入り、日本でも聖典のように扱われました。


この頃の共産主義シンパには、インテリで金持ちの青年が多くいました。

日本でも同じで、大正時代から昭和初期にあたりますが、大学生はマルクスとレーニンにかぶれ、プロレタリア文学が流行しました。

彼らの根なし草的なメンテリティが共産党に吸引されていく過程は、ジョージ・オーウェルが評論「鯨の腹の中で」で論じています。


アメリカでのそうした青年の典型は、コーエン兄弟の「バートン・フィンク」(1991)でも描かれています。

物語の時代は、1941年と設定されています。でも、バートン・フィンクのモデルは、1930年代に共産党に関与し、のちに赤狩りのブラックリストに載った脚本家クリフォード・オデッツと言われます。

ブレヒト流民衆劇の思想を持つ脚本家(ジョン・タトゥーロ)が、ハリウッドで職を得ようとし、ハリウッドの商業主義に押しつぶされていく物語です。

理想家肌の脚本家を圧倒していく、ジョン・グッドマン演じる不気味な大男は、共産主義を押しつぶすアメリカ資本主義の象徴と言えるでしょう。


反ファシズム期のキャプラとチャップリン


ここから、チャールズ・チャップリンとフランク・キャプラの話になるのですが。

お楽しみはこれから、なのですが。

でも十分長くなったし、疲れたので、続きはまたの機会に。


<参考>




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