短歌五十音【も】盛田志保子『木曜日』
ごあいさつ
今回から「短歌五十音」に参加させていただく、かきもち もちりです。
よろしくお願いします。
とはいえ、五十音中、既に「も」まで来ておりますので、短い間となりますがよろしくお願いします。
それでは今回の「短歌五十音」は、【も】の歌人として、盛田志保子さんの『木曜日』をもちりが読んでいきます。
今回読んだのは、2003年の歌集『木曜日』が、2020年に書肆侃侃房から現代短歌クラシックスとして未発表首等を増補して刊行されたもの。
実は、12月の文フリ東京39で出す本の原稿を10月頭に入稿してから、まだふわーっとしている。
元々筆が遅いところに、一気に推敲やら連作編むやらやってたので、過負荷気味でなんにも思い付かない。(まるで元々は思い付いていたかのような表現)
この歌集はそんなくたびれた脳に、たっぷりと詩情を流し込んでくれました。
好きだった歌を以下で引いていきます。
「かなしいおばけ」
「かなしいおばけ」と題された一連から三首。
歌集の冒頭から「死」を感じさせるが、その死が、なぜかとてもフラットに感じられる。
一首目
乗っている人がみんな眠りこけている。(まるで、死んだように)窓にもたれて頭の脂が白く付いてしまう。始発電車ではよく見るなぁ、と思う光景。
ただ、窓につきやすいのってよくよく考えると「顔」の方じゃないのか。おでこの脂とか。窓から外を眺める子どもがよく付けている。(イメージです)
窓という窓に、顔の形の脂が点々と貼り付いた電車。死者が車内から逃げ出そうとしているようだ。
車内の電灯が点き、眠りから覚めて生き返ったかのような電車と、疲れ切った乗客が何かから逃げたくて窓に張り付く様子を想像する。
乗客たちはどこへ運ばれていくのだろう。
二首目
名前を呼ばれることは、他者が何らかの目的を持って「私」に働きかけていることを示す場合が多い。
もし、わたしが当選者だったらうれしい。
呼びかけた人は「私」に何かをくれたりするんだろう。何かが当たって手に入ることは、単純にうれしい。
もし、わたしが迷子だったらうれしい。
庇護者が「私」を見つけて、呼びかけてくる優しい声だ。そんな声が聞こえてきたら、心細くて凍っていた「私」の心も一瞬で解けて、うれしい。
でも、この歌で聞こえてきたのはそんな嬉しい声ではないのだろう。
名前を呼ばないでほしい時って、なんだろう。
もしかしたら「呼び方が変わる時」のことだろうか。それまで親しげに呼んでいた声が、急に「さん」付けに変わった時。
当選者も、迷子も、「〜さん」などと敬称を付けられることが多いと思う。
これは「良い敬称」だが、今回は「悪い敬称」。
あえて距離を置くために付けられた「さん」。
そこには「関係の死」が差し込まれている。
三首目
クリップの山からクリップを引き上げると、まったく意図せずともクリップがずるずると引っかかってくる。
そのクリップの中には「死んだクリップ」(=曲がるなどして役に立たなくなったクリップ?)が含まれている。
息を止めて引き上げなければ耐えられないほどの、大量の死。どんなに気をつけて引き上げてもそこから逃れられない。
私達は日常的にその「死」を捨てて、自分の役に立つ「生」を選び取らなければ生きていけない。
このままならなさに読者も息を呑む。
「妹にキック」
「妹にキック」という一連から三首。
ひとりっ子であるわたしには、きょうだい関係というものを、実感を持って理解することができない。いわゆるテンプレート的な知識以上の感情その他を持っていない。
しかし、この一連はそんなわたしに「妹」の存在を手渡してくれるような確かさを与えてくれた。
一首目
「家具も識別できぬほどの陽あたり」とはどれほど眩いのだろう。
陽あたりは良い方がいい。部屋の中は明るい方が良く見えるだろうし、あたたかくもあるだろう。
でも、そこまで眩しいとそれこそ何も見えないし、住みにくいことこの上ないのではないか。
そんな陽あたりに例えられるほどの妹の「まばゆさ」がこの一連では通底して語られている。
その「まばゆさ」が疎ましく、かつ羨ましくもある、アンビバレンツな状態に主体を導いているように感じる。
二首目
「雑」である。
お菓子作りは、レシピにもよるが一般的に料理よりも厳密さが要求される(とわたしは認識している)。だからちゃんと材料を、道具を、ちゃんと準備して作らなくてはならない。
しかし、妹は真夜中に急に食べたくなったお菓子を、あるもので適当に作る。
そのとてつもない勢いと雑さで生まれたお菓子は、その一回性に裏打ちされたとてつもない美しさを持つ。
お菓子それ自体と、そのお菓子を(たぶん)分け合って食べた深夜の思い出は、余りにも美しいのだろう。
三首目
盛田志保子の歌で、わたしがこの歌集を読む前から知っていたのはこの歌だった。
「雨だから迎えに来て」と言われたら、その言外に「濡れたくないから傘を持って来て」まで一般的には読み取らないといけない。
でも、妹は文字通り「迎え」に来た。何も持たずに、あまつさえ裸足で。
そのことに何の間違いも無いのですが、主体が求めていたことは何も叶えられていない。でも、妹は純粋にお願いされたことを、叶えた。
結句の「来やがって」からは、当然の如く主体のいら立ちを感じざるを得ないが、そのいら立ちは妹の振る舞いの純粋さ、眩しさを羨む部分を持つ自分に向けられてはいないだろうか。
卓上カレンダー
最後に、現代短歌クラシックス版で新たに収録された「卓上カレンダー」という一連から三首。
とあとがきで作者のコメントがあるように、四季のめぐって一年を追うような構成。
岩手出身の作者が、上京した頃のことなのかな、と思いながら読んだ。
この歌集の中で、いちばん何度も繰り返し読みたくなる一連だった。
一首目
春がくるからどこかへ行こう、と言う。
暖かくなったから、きれいな花が咲くから、理由はいくらでもある。
でも、春は、ここに来る。急いで追い掛けなくても、例え嫌だとしても、向こうからやってくるのにどこへ行こうと言うのだろうか?
心地良い春を求める心は一緒なのに、離れていってしまいそうになる、その切なさのやり場のなさ。
二首目
上京した主体を訪ねてきた父母の帰り際を見送っているのだろうか。
田舎という場所で生きる子供は、親に支配される領域が都会のそれよりも大きいのではないかと思う。
車が無ければいけないところも多いし、それ以外にも経済力を得る手段が少なく、親という存在は否応なく大きく感じられるだろう。
この一種から親子関係までは推察できないが、それだけの大きさを持った父母が、東京でこんなにも小さく見えること。
それは東京という場所の「大きさ」(広さではなく)や、距離をとったことによる遠近法など、さまざまな要因が絡み合った結果なのではないか。
子供と会うために、「よそ行き」を着るようになる。見送り続けるごとに、関係性がゆるやかに伸びていってしまう(もしかすると断絶へと向かって)ことを思う。
三首目
あなたは、「目黒区の路上で秋刀魚を焼いてくれないか?」と聞かれたことがあるだろうか?わたしはある。
それはどうでもいいが、秋になると秋刀魚が送られてくるのは、北の沿岸部出身だったりするとあるあるなんだろうか。
わたしたちは、愛に形を与えようとする。どれほど精神的な繋がりを称揚しても、肉体がある限り、愛する人に「それ」を伝える時、形は重要な位置を占める。
それは高級なモノだったり、そうでなかったり、既製品だったり手作りであったり。形の無いものに形を与えようと絶え間なく試行錯誤を続ける。
ここでは秋刀魚にその役割が与えられている。秋刀魚は、足が速い魚で、しかも二十尾。食べ切ることができない。送ってきた相手(おそらくは親)は、主体が一人暮らし(またはそれに準ずる人数)しかいないことを知っているのに、送ってきてしまうのだ。
それは、まったくの悪気なく、純粋な善意、はち切れんばかりの愛をそうやってぶつけてしまう。
主体はきっと、この愛を持て余している。でも、捨て去る気にはなれないんじゃないか。足の速い光り物が二十尾。そして「確実に届く」ように時間指定された、抱えきれないほどの愛を。その恐ろしさを知りながら。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
この歌集、歌人に興味を持っていただけたなら、とってもうれしいです!
次回予告
「短歌五十音」では、ぽっぷこーんじぇるさん、初夏みどりさん、中森温泉さん、桜庭紀子さんに代わってかきもち もちりの4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。
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