
『さかな組 秋のエスケープ号』を読んだ。
同じ場所に行きたかった。
とてもいいネプリを読んで、感想を言いたくなった。
現状を正確に言うと、「とっくに読んでいたが感想を世に出すのがこのタイミングになった」である。
何かといえば、霧島あきらさん(Twitter(現X)アカウント:@kirishima2325)と織原禾さん(同:@ex_onwanainu)のお二人が出したネプリ、『さかな組 秋のエスケープ号』のことである。
出力期間が11/22までであったので、1ヶ月以上も空いてしまったが、人生においてはそれも仕方ないのである。
このネプリには、お二人が国立西洋美術館で現在行われている企画展「モネ:睡蓮のとき」(開催期間2024.10.5〜2025.2.11)にて吟行をされた際の短歌八首と散文が収められている。
お二人とも大変素敵な歌を詠まれる方であるし、元々モネが好きだったこともあり、すーぐに出力してすーぐ拝読した。そしたらとうぜん、すーぐ感想を言いたくなったのだが。
ふと「わたしも同じ展示を見てから、また読みたいなぁ」と思ったのだ。
感想を世に出すのが遅れたのは100%この思いつきのせいである。
まぁまぁまぁまぁ、人類みなご存知のとおり人生とはほんとうにままならないもので、それからさ〜っぱり行く機会に恵まれず、神保町に行く用事や水道橋に行く用事、新宿、渋谷に行く用事はあるのに上野へは辿り着けない時間が続いてしまった。
長男と野球殿堂博物館に行った帰りにも、「ねぇねぇ……パパもぉ……行きたい美術館があってぇ……」とおそるおそるチャレンジしてみたものの、「今日、寒過ぎるよね……(長男なりの行きたくない旨の婉曲表現)」と言われ、あえなく失敗。
そんなこんなではわはわとしていたところ、ようやくつい先日、用事の合間にしゅるぽんっとスキマ時間ができたため、京浜東北線の力でなんとか辿り着くことができた。
ゆるされた時間は、2時間。
正直2時間で見て回れるような展示ではなかったのだが、がんばって見た。見まくった。不審な動きをしながら、遠くから近くから、見た。
ああ、なんと……素晴らしい、展示、でした……。〈終わり〉
〈再開〉
いけない、勝手に満ち足りて終わってしまった。
ほぼ時系列で並べられるモネの絵をゆっくり辿りながら、彼の踏みしめた轍を後から踏んで見て回る。そのこと自体が、モネの世界に誘われていくような、不思議な感覚を覚える、そんな展示だった。
展示を見てから改めてネプリに目を落とすと、二人の歌人はこの企画展からなんと鮮やかな世界を立ち上げたのだろう、と改めて感動した。
やっぱり来て、そして読んで、良かった。
勢いで全首評したいところですが、いつまでも終わらなくなりそうなので、お二方からそれぞれ三首ずつ読ませていただきます。
霧島さんのうた
まずは霧島あきらさんの歌から。
絵を前に滞留しつつゆるやかに流れてゆけばセーヌのような
一首目に選んだのは、絵そのものではなくて展示を詠んだ歌。
展示に足を踏み入れると「船遊び」がお出迎え。そこからしばらくは、蛇行した廊下に、セーヌ河を描いた連作が並んでいます。
人気の展示なので、平日でも混み合っており、それぞれの絵の前に人集りができます。しかし皆、押し合うことはありません。
それぞれに距離をとりながら、それぞれのスピードで、さながら川を流されていく葉のように、岸に少しずつ引っかかりながら奥へと進んでいきます。
セーヌ河はパリの市内をぐにょっと(ぐにょっと?)蛇行しており、その様子との重ね合わせがとても素敵です。
人の流れを大河であるセーヌのゆるやかな流れに喩え、自分もいつの間にか巻き込まれているけれど、なんだかいやじゃない。「ゆ」の音が散りばめられているところからもそんな印象を受けました。展示の様子だけでなく、人生もゆっくり歩いていけるといい……そんな雰囲気を感じます。
ユーモラスな中にセンスの光る一首だと思います。
モネの眼が霧の庭へと変わるころ光の色は渇望のいろ
続いては、モネの晩年の絵を並べた部屋で詠まれたのだろう一首です。
「モネの眼が霧の庭へと変わるころ」
モネは晩年、白内障を患いました。
白内障を発症すると、水晶体が濁り、視界が暖色系へ偏るという症状が現れます。
罹患後の彼が描く画面は、それまでの透き通るような寒色の世界から、明らかに赤、黄色やオレンジといった激しい色味が中心の世界へと劇的に変わっていきます。
自らの理想とする庭を自宅に作り上げ、その庭をモチーフに絵を描き続けたモネ。
人生のうちのかなりの時間で、その庭を見つめ続けたモネの眼が、白内障によって濁っていくことが「霧の庭へと変わるころ」と表現されたことで、まるで眼の中に庭が生まれてしまったかのような不思議な感覚を覚えます。
それから、三句、四句、結句に向けて畳み掛けるように「ころ」「色」「いろ」と韻を踏む、心地よいリズムがあります。
それこそ転げ落ちるようにとでも言うのでしょうか、モネの見る世界がガラッと変わっていく様子をここで読者に印象付けます。
モネが自らの人生を賭して作り上げた庭が、少しずつ霧の中へ消え、燃え上がっていくことへの焦燥感。
世界が暖色へと急激に傾いていくその様は、今まで見えていた世界が燃え上がるようにも感じられたのではないでしょうか。
「渇望のいろ」という結句で終わるこの一首は、最晩年までモネの心を焦がしたであろう、まだ見たい、まだ描きたい、そして「あの(頃の)色が欲しい」という思いを描き出している歌であると感じました。
大いなる枝垂れ柳は夢をみるあなたの死後のひかりのなかで
エピローグ、「さかさまの世界」にて展示の最後を飾った二枚の絵のうち、「枝垂れ柳と睡蓮の池」から詠まれた一首でしょう。
「枝垂れ柳と睡蓮の池」は第一次世界大戦中に描かれた作品。枝垂れ柳の垂れる様子が悲しみの涙の象徴であると言われています。
「大勢の人が苦しみ、命を落としている中で、形や色の些細なことを考えるのは恥ずべきかもしれません。しかし、私にとってそうすることが悲しみを逃れる唯一の方法なのです。」
モネは、このように書いています。
第一次世界大戦が彼の表現に与えた影響は大きく、「枝垂れ柳と睡蓮の池」では、「鑑賞者が始まりも終わりも無い無限の水の広がりに包まれ安らかに瞑想できる」ことを意識した、とも言われます。
歌の中で枝垂れ柳は夢を見ていますが、「死後のひかりのなかで」見る夢だと言われているだけで、歌の中ではなんの、どんな夢かは明示されていません。
もし先ほどのモネの言を作者が意識しているなら、きっと枝垂れ柳が見る夢は平穏で幸せな柔らかいひかりの夢──?
そうすると、「あなたの死後」とは、直接的にはモネの死後のことを言っているのでしょう。この部分が倒置となっていることで、死後に彼の作品に触れた人々が、そこから溢れる「ひかり」に包まれていくようなイメージを受け取ることができます。
しかし現実には──今ここにある現実には、そのようなひかり溢れる平穏は世界に存在しません。
だから枝垂れ柳はいまだに「夢」を見ることしかできない。
そんな悲しい美しさを孕んだ一首と読みました。
織原さんのうた
続いて織原禾さんの歌から三首。
平日の静かな水の順路みな湖になることをおそれない
整然と展示へ流れていく人波を詠んだ一首。
「平日の静かな水の順路」
展示の中を静かに流れていく人々を「水」にたとえて「順路」がまるでそこを流れる静かな水路のように見えてきます。
「湖」は定義で言うなら、川が流れ込まない水たまりのことなので、「湖になる」ために水が流れ込むのならば、意識的に作られた人工的な用水路などがなければなりません。
「平日の」とすることで、あえて自らそこに来ている観衆の意思をうまく表現されているな、と思いました。
そして「水(=観衆)」はいずれ「湖になる」し、それを「おそれない」と作者は言います。
モネの絵は、画面いっぱいに、今にも溢れそうな水面の表現が特徴的です。
人々はそんな美しい湖が描かれた絵を「おそれる」ことなく覗き込みます。
先述したように、自らの意思で絵を見に来たのだから、ふつうのことかもしれません。が、あえて作者はそのことに言及するのです。
そこには、モネの絵の、見ているとその世界へと吸い込まれてしまうような、卓越した表現への畏怖が隠れているように思います。
モネの描く絵には、例えば、空を写す水面に浮かぶ睡蓮がまるで雲のように見えるというような、周辺の世界を取り込んでしまったような作品があります。
我々はモネの絵を見ているうちに、その絵の中へと誘い込まれ、「湖」となる。
しかしそのことはむしろおそれることではなく、どこか心地いいことと捉えられている。
モネの絵を見ることの楽しさ、高揚感と、あまりにも引き込まれてしまうことへの畏怖を、比較的抑えた表現、それこそモネが描く水面のような透明さで詠まれた一首だと感じました。
《チャーリング・クロス橋、ロンドン》1902年頃
まなうらの橋をわたって輪郭が溶けだしたころまた会いましょう
「チャーリング・クロス橋」は、テムズ川にかかる同名の橋を描いた連作です。
数年に亘る長い連作で、画面中央を橋が大きく横切った構成が特徴的です。
日時を変えて同じ画角から描かれていて、ほとんどの場合、ロンドンの霧を纏う橋が表現されているのですが、たまたま晴れた鮮やかなものがあるかと思えば、描かれたタイミングによっては、ほぼ霧の向こうにぼんやりとした輪郭しか見えないものもあります。
今回主題に取り上げられているのは、霧の深い朝方が描かれた一枚でしょう。
「また会いましょう」
主体は優しい口調で再会を呼び掛けます。
目を閉じて、そこに浮かぶ橋の輪郭が溶け出したころ──そこに至るにはどれだけの時間が必要なのでしょうか。
チャーリングクロス橋は、テムズ川をまたぐ大きな橋です。
「まなうらの橋」はきっとそれに匹敵するほど大きく、渡るのにもそれなりに長い時間がかかるのでしょう。
汽車が煙をあげながら橋を渡る様子もよく描かれていますが、歌からはなんとなく主体が歩いて渡っているように感じます。
主体はさらに、ゆっくりとした歩みでより長い時間をかけて歩くのではないでしょうか。
再会を約束したけれど、その再会は長い時間をかけて「今ここにいる二人」がぼやけてからでないと果たせないもの。それまで主体は歩き続けるつもりなのです。
モネの描いた静かな画面に、主体の姿が最初から描き込まれていたかのように、自然と絵に馴染み、世界を広げるような一首だと思います。
まぶしさは睡蓮だけに秘めておく影なき影の限りの中で
こちらは先に霧島さんの評でも触れたエピローグ「さかさまの世界」の最後に展示された二枚のうち、もう一方である「睡蓮」で詠まれた一首だと読みました。(ただし、この読みには展示の最後で対になった絵で歌も対になっていてほしいというわたしの希望が含まれています……)
影なき影の限りの中で。
かげ、かげ、かぎり、強いGの音で区切りが意識され、「限り」の語意と響き合うように感じます。
一枚の絵に表現できる範囲の限界を表しているのだと読みました。
「睡蓮」は先ほどの「枝垂れ柳〜」とは対照的に、睡蓮が浮かぶ水面に枝垂れ柳の影(水面に映る姿)が映し出され、柳そのものは水面に届く枝以外ほとんど画面に現れてきません。
しかし、その枝と水面に映る枝が繋がって、画面を縦に貫き、まるで「現実の世界」と「影の世界(水面に映る世界)」を繋ぐかのように。
そのことで限りある画面であるのに──いや、だからこそ、世界の広がりを想像させます。
その「現実の」枝垂れ柳と「水面の」枝垂れ柳の境界(=水面)に睡蓮が浮かんでいます。
睡蓮が、その二つの世界を繋ぐ役割を担うことですべての光を受け止めている……。
鑑賞者たる作者は、絵の中の世界と自分がいる現実を繋ぐように、睡蓮と同じ役割を担わされていると感じているのです。
まぶしさ、それは強い光によって一瞬、世界のすべてを喪失する瞬間のこと。
絵画と出会い、心を通わせた瞬間の素晴らしさと危うさを表した一首である……そんな風に読みました。
読みました。
ということで、読みました。
時間がかかった割には、思ったこと、感じたことの半分も言えてないですね。
しかしとりあえずとても面白いネプリを読んだんだよ!という思いが迸っていることだけは伝わっていると嬉しいです。
そのうち改稿するかもしれませんが……今のところは、こんなところで。
もし、このネプリをお読みになった方でまだ企画展に行けていない人はぜひ行ってほしいな、と思います。
国立西洋美術館では2025年2月まで会期がありますし、その後は京都と豊田にも巡回するらしいです。
ネプリ単体でももちろん素晴らしいですが、より深く追体験ができますし、三人目としてあなたの視点を加えることもまたとても楽しいですよ。
ちなみに
ちなみにぃ、これってぇ、「秋のエスケープ号」なんですけどぉ、「春」「夏」「冬」は期待してていいんですかねぇ……???
わたしは、待ってます……!!!
霧島あきらさん、織原禾さん、素敵なものを読ませていただきありがとうございました!