トマトの急成長が怖い - ボタニカル倶楽部
春が過ぎて初夏手前の暑い日々が続いている。梅雨に一歩踏み入れた感は拭えないが、信州の天気はなぜかギリギリのラインで堪えているようだ。
3ヶ月前に植えたミニトマトの苗がとんでもないことになってきた。一言でいえばジュマンジだし、宇宙戦争でもあるし、クローバーフィールドでもある。ミストまではいかない得体の知れない恐怖が俺ににじり寄ってきているのである。
俺の無知なる家庭菜園コーナーは、東京の満員電車でもここまでぎちぎちにならないだろう?ってレベルでひしめきあっていて、その理由は至極簡単だ。地植えできるスペースを作って、10cm感覚で当時は可愛くて仕方のなかったミニトマトの苗をふたつ植えたのだ。その手前には茄子をふた苗。周囲にバジルと大葉の苗も植えたった。
そして三ヶ月が経った。まぁ、育つわな。
急成長はミニトマトだった。なんだろう。どこまで生育するのか1ミリも考えていなかったのが正直なところで。気づいたら150cmぐらい縦に伸びている。支柱を用意してあげてない放任主義もたたって、天津飯の「四妖拳」の様相を呈し、やつはぶっとい血管みたいな茎をあちこちに大きく伸ばしていた。雰囲気で脇芽は摘んでいたものの、野性味あふれる成長速度に俺はもう怖くなってきている。このままどこまで成長するのだろうか。ゴリ赤木の母親もこんな気持ちだったのかな。
いそいそとホームセンターで買ってきた細い竹の支柱を寄り添わせて、麻紐でグルグルと縛る。孔子の三十にして立つとはまさにこのこと。人間側の恐怖や不安が和らぎ、真っ直ぐと隆起した茎がそそり立つだけで、もはや立派な一人前だよ!と言いたくなる。きっと野菜を育てるイロハ的には真っ直ぐ育てる理由があるのだろうが、俺はそこんとこあまり理解をしていない。むしろ人間と同じように「真っ直ぐ立ってもらえると、見ている方が安心するわい」な論理が働いているように感じた。
立派な実もたくさん生っている。ボタニカル倶楽部の一年目にとって、恐怖と達成感を同時に与えてくれているミニトマトの存在はありがたい。10cmの苗感覚は非常識なんだろうが、倫理は誰かが決めた線を少しハミ出してからこそ、自分なりに気づいて、最適化して考えることができるものだと思う。
今年はこれでいいのだ。大いなる天津飯の分裂した腕に包まれた前方の茄子は光量不足かつ、虫に食われて葉緑体の大半を失っているが、それはもうそれでいいのだ。大葉は何度か収穫し、素麺の薬味で成仏させてやった。バジルはガパオライスを作ろうとして3ヶ月が過ぎた。カプレーゼは一回きり。家の前で繰り広げられる弱肉強食のミクロワンダーランドは、期待と諦めがものすごいスピードで交差していくのである。