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介護生活1週間、すでにギブアップぎみ
介護生活1週間。限界に近い。
今はもう、何もかも忘れて眠りたい。
という話。
***
介護のたいへんさはよく耳にする。
想像もできていた。
しかし、想像以上に大変だった(まだ終わってもいないし、どちらかというと始まったばかり、だ・・・)。
じゃ、何がたいへんなんだろう。
寝たきりなわけじゃないし、身体が不自由なわけじゃない。
周囲の人がびっくりするほど、見た目は元気になった。
だからこそ、やっかいなのだ。
自由に動ける → なんなら片足立ちだってできる → 理学療法士さんがすごいと褒める → 今まで通り何でもできると思い込む。
お見舞いをもらっていた方々に、帰ってきた報告とお礼を言いに訪ねると、まるで病気前のようにできもしない約束をしてしまう。
それをあとから、いちいち説明して詫びて回る。
衣服はボタンが閉められず、マジックテープもカタカタに留めている。
ズボンから肌着がはみ出していたり、靴のかかとを踏んでいたり。
どんなに取り繕ってみても、どこかおかしい。
他にも今日の日付がわからないので、くすりが取り出せない。
なんだか変な手順で、やるもんだから粉薬が散乱し、錠剤は転がり落ちる。
これらは脳卒中後遺症の高次脳機能障害や半側空間無視の影響と思われ。
どうしてこんな簡単なことが!と思うようなことができない。
頭では理解している。
でも、毎日毎日、それを目の当たりにするとこっちのメンタルがやられていく。
口で説明しても、やってみせても、脳が障害を受けているのだから直そうと思ってできることじゃない。
それは、みていて不思議なぐらい。
人は、ちゃんと言えばわかる。
やってみせればできる、と思いがち。
でも、言っていることややってみせられていることが理解できないければ、できるはずはないのだ。
それこそ、少しずつ繰り返しリハビリして習得するレベルのことなのだ。
介護の疲れ、それも精神的疲労の大きな原因は
これまでのその人と、今のその人のギャップに、ついていけないからなんじゃないかな。
同じ人、人格、能力、考え方、価値観と思って接しているから、そうじゃないときに戸惑う。
えっ? 違うの? と自分の中で軌道修正を繰り返さなければならない。
それが、結構きつい。
変わってしまったその人をそのまま受け入れるというプロセスはハードだ。
頭で理解していることとハートが感じることのすり合わせも必要だし。
そんなこんなで、ぐったりの1週間。
まもなく弟が帰ってくる。
明日は、バトンタッチして我が家に2泊3日。
我が家に残してきたオットくんは元気にしているのだろうか。^^;
こっちはこっちで、メンテナンスが必要そう。
タイトル画像は”泥棒猫/ing ing ing”さんにお借りしました。
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