好きなことばの移り変わり
若い頃は感情の起伏が激しくて(自覚はないのだけど、そう言われてた)、泣いたり、笑ったり、怒ったり、猪突猛進で穴に落ち、みたいなところがあって、まぁ・・・熱かったのだと思う。
でもそれゆえに、クールな人に憧れ、物静かで思慮深い大人な女性になることを夢見ていた。
だが、今でも程遠いので、結局、性分ではないということなのだろう。
そんなころ、好きだった言葉が「中庸」と「安寧」(笑)
いつもザワザワしている心を落ち着かせたかった。
シンとした山奥の湖、青森県の十二湖の景色に心惹かれた。
今ではちょっと寂しく感じるかなぁ。
浮き沈みの激しい日々をなんとか自分に納得させようともがいていていたころ、口にしていたのが「人間万事塞翁が馬」、「成るようになる」、「ケ・セラ・セラ」。
悪いと思っていたこともいいことにつながるかもしれないし、その逆もあり。
今、よし悪しや善悪を決めなくてもいいじゃないか、成るようにしかならないさ。
このころは、タフになったというか、落ち着いてきたのかもしれない。
疲れ切って、燃料切れだっただけかもしれない。
そのあと、出会って気にいったのが「人生は心一つの置き所」。
中村天風という偉い方のことば。
「なるようになる」より積極的で、「ものごとは考え方次第だよ」、「しあわせは今すぐ味わえるよ」って感じ。
いろんな人にこの言葉をプレゼントしてきた。
その割に、自分では忘れていることも多いけど。
年齢を重ねたら、それなりに成熟するのかと思ってきたが、人間はどこまでも広がっていてしかも多様で、成熟した部分もあれば、また新しい未熟な芽が出てきたりする。
オンラインゲームなんかやっていると、小学生にいろいろと学ぶことも多くてそれは新鮮で楽しい。
また、穏やかに泣いたり、笑ったり、怒ったり、して人生を楽しもうっと。
今夜は好きなことばで振り返ってみた。
それらのことばは、その頃のこころのありようを思い出させてくれた。
タイトル画像は”さいとう りょうた /「ことば」をつむぐ”にお借りしました。
影なのに明るい雰囲気を醸し出していて、ステキ。