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【コメント勉強会】コメントしにくい記事

コメント勉強会に参加しています。
チェーンナーさんのこの記事を読んで私なりに考えたことPartⅡ。

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今日はコメントしにくい記事について、考えてみます。
記事の内容というより、コメントしたくてもコメントに踏み切れないのはどんなときかという視点です。

1.こころが動いてもコメントできないとき
あまりに感動したり、深く考えさせられたりしたときは、簡単にコメントができないことがあります。
短いことばじゃ伝えきれない、長くしても伝える自信がないときです。
「あー、この気持ち伝えたいんだけどなぁ。」
でも、語彙力がない、文章力がないと歯がゆく思うことも少なくありません。
コメントは生ものみたいな気がしていて、タイミングを逸するとますます書けなくなります。
どうしても伝えたいときや思いを吐き出したいときはコメントじゃなくて記事にしたこともありました。
コメントしないから記事が届いていないってことじゃないのですよね。

2.知識がたりない、考えることから逃避したいとき
1.に似ているんですけど、その領域に疎いとき、あるいは考えなきゃいけないんだろうけど今は考えたくない!って避けてしまうことがあります。
政治、経済、倫理的な話でしょうか。
何かしら気持ちは揺さぶられるのだけど、ありふれたコメントやおバカなコメントではかえって失礼になると思うと書けませんねぇ。
noteでディベートとかできたらカッコいいのでしょうけど、まぁ無理ですね。😅

3.反対意見、批判的な考えをもったとき
ほとんどないのですが、「えーそれはどうかな?」と思うことがまったくないわけではありません。
でもそういう記事に自分の思いをコメントすることはありません。
本当はそういう意見こそ、貴重なのかもしれませんが、しっかり自分の気持ちを誤解なく伝える自信がないですから。
記事を書いた方を不快にさせるようなことだけはないようにと思ってコメントしているので恐ろしくてできません。
(それでも不快に思われた方がいらっしゃったら「すみません。」)

反対意見を持たれそうな記事でも、書いてる方は共感してほしくて書いていることが多いんじゃないかなと思います。
共感を得て安堵するというか、自分を納得させるというか。
だから、正論を盾にして「間違っている」とか「そうは思わない」とか聞きたいわけではないのだろうと思います。
それこそ、「私は違う」という方もいらっしゃるでしょうが、私は大概そうです。

だから、「反論でも批判でもOKだから、意見がほしい」というときには、記事の最後にその旨を書いてみたらいいのではないかと思います。
どっちに受け取られるかがわからない不安がコメントのハードルを上げているのではないでしょうか。

4.コメント欄が賑わっているとき😅
人気のnoterさんだとコメント欄が何十にもなっているじゃないですか。
本当はコメントしたいんだけど、仲間に入りたいんだけど・・・・躊躇することが結構あります。
そういう方の場合、丁寧にひとつひとつコメント返していらしゃったりするので、逆にお手数かけるな・・・と、すごすごと引き下がることがあります。
コメントがかぶらないように、ちょっとは気の利いたコメントを、なんて考えていると、タイミングを逃すのです。
長縄跳びに入るタイミングを見計らっている感じです。

5.真面目路線で行った方がいいか、多少ふざけてもいいか判断つかないとき。
あんまり堅苦しいコメントばかりでも(自分が)つまらない。
だからちょっとフレンドリーにツッコミいれてみたい衝撃に駆られるときがあります。
しかし、それを不快に思われたら?? 馴れ馴れしいと思われたら? と悩んでいるうちに忘れてしまいます。

これも時間を書けて距離感をはかっていくしかないのだろうと思いますが。
他の方とのやりとりを見ながら、少しずつですね。
こちらは「だるまさんがころんだ」をやっている感じ??
例えがわかりにくいですかね。


今日は、私がコメントしにくいと感じるとき(記事)について、考えてみました。
この記事に対するコメントは、反対意見、批判、批評、おちゃらけ、何でもOKです。
誹謗中傷だけは断固お断り!!しますね。😁


【note勉強会】【コメント勉強会】12月30日までです。

タイトル画像は”新町まつり | たのしい自由研究・創作note”さんにお借りしました。
コメントに踏み切れないときって意味でこの画像を使わせていただきました。



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