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あなたが周りを気にしなくていい本当の理由

僕たちは普通に生きてると周りの人を常に気にして生きている。

例えば、初対面の人と話す時。自分が嫌われないように相手の顔色をうかがって話す。

そんな人は多いんじゃないかな?

実際、僕もそうだった。

ネット上では「周りのことは気にしなくていい」「人の目は気にするな」という情報を多く見るけど結局なんで?と疑問に思うことが多い。

というか人の目を気にしなくていいことくらいみんな本当はわかってるんだと思う。

でも、多くの人がほぼ無意識に人の目を気にしてしまう。

僕はそれがなぜなのか疑問に感じた。

だから、考えてみたんだ。

「周りを気にしなくていい本当の理由を」

それで、出た僕の答えはこうだ。

「結局どんなに正しいことをしても反対意見の人はいる。だから気にすることすら意味がない」

何か度肝を抜くような答えを期待していた人がいたらごめんね。

答えはいたって普通だよね。

でも、これには結構深い理由があるんだ。

これは僕が体験したことなんだけど、

バイト先で、店の前を通りすがる人達にパンの試食を提供していたことがあった。

僕は一般の人達は「声かけを嫌がる」と思っていたから少し控えめに声をかけていたんだ。

予想していた通り、声をかけると少し嫌な顔をして「大丈夫です」と答える人は多かった。

聞いてすらくれない人もいた。

だから、その時僕は何か言い方が悪いのかな?と思ったんだけど、続けていると声をかけずとも近寄ってくる人もいた。(当たり前なんだけどね)

その時にいろんな人を見てて思ったんだ。

まず、パンを食べたいと思ってない人が試食をするわけない。
パンを普段からあまり食べない人がパンの試食に興味を示すわけがないんだ。

逆にパンを普段から食べる人や試食を見て食べたいと思う人達は何も言わずとも興味を示す。

僕は「人が嫌がるかもしれない」から控えめに声かけをしようと思ってしていたけど、考えてみればそれは見当違いだったんだよね。

だって、僕が店の前に立つ理由は人を呼び込むため。

でも、それはパンに興味がない人を無理やり呼び込むことじゃなくて、興味がある人を呼び込むこと。

試食の呼びかけをするのは「少しでも興味がある人に気付いてもらうこと」で試食してお客さんが良いと感じたらお店に来てもらう。

ただそれだけのことだったんだ。

だから、僕が呼びかけをすることに負い目を感じることもなかったし、誰かを気にしてすることもなかったんだ。

結局必要な人は反応するし、そうでない人は反応しないんだから。

たしか、何かの寓話にこんな話もあったなー。

ある村におじいさんと子供とロバがいた。
2人と一匹は隣町に出かけることになり、おじいさんと子供とロバは歩いて隣町を目指した。

すると、前から人が歩いてきてこう言った。

「こんな小さな子を歩かせるなんてかわいそうだ」

おじいさんはその人に言われてそれもそうだと思い子供をロバに乗せて先を進んだ。

するとまた、人が通りかかりこう言った。

「ロバに子供を乗せるなんてロバが重くてかわいそうだ」

おじいさんはそれもそうだと子供をロバから下ろして歩いて向かうことにした。

しばらくすると、また通りかかりの人はこう言った。

「せっかくロバがいるのに乗らないなんてもったいない」

2人はその後どうしていいかわからなくなりロバを棒に縛って担いで行ったらしい。

結局ロバは暴れて棒ごと川に落ち、死んでしまったという。

話は少しだけ本物と違うだろうけど、だいたいそんな感じだった気がする。(全く違かったらごめんね)

この寓話はこんなことが言いたいんだろう。

・関係ない人は自分の意見を自分勝手に言う。
・周りを気にしていたら答えは出ない
・結局、良い方には向かわない。

結局、人が何をしても良い面も悪い面も両方のことが起こる。

誰かにとっては良くても、誰かにとっては悪いことなんだ。

身近なことで言えばファーストフード店で注文してもそうでしょ。

「自分は食べ物を食べられる」
「お店にもお金が入る」

でも、「作る人達は作業が増えて迷惑」

僕はこんなことを考えて二面性を意識するようになって本当の意味で周りを気にする意味はないなって思ったんだ。

僕たちは自分のすること、したことを正しいと信じて生きるしかないんだと思う。

どんなことでも必ず理解できる一面が存在する。

僕は周りを気にしながら不安な中、生きるよりもっと前向きに捉えて生きていきたいかな。

夜中にいろいろ考えながら僕はそう思った。



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