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努力ができなくても、主人公になりたい

(本文:約4800字)


才能はゼロだけど、努力で渡り合う主人公。
才能はゼロだけど、努力で無双する主人公。
才能はゼロだけど、努力で人を惹きつける主人公。

大ヒットした漫画の主人公たち。
努力は素晴らしく、カッコよく、そして「だれにでも平等である」。
だから、こういうストーリーが人々から愛される。


どうして「努力ができない」主人公がいないのだろう。
努力ができない人間は、尊敬に値しないからだろうか。


努力は平等なんかじゃない。
時間はあるのに努力ができない。
はたから見たら怠け者だが、そんな状態は楽でも楽しくもない。
なにもしないほうが苦しいのに、なにかをがんばることができない。


――また昼寝から目が覚める。今日も日が沈む。麻雀のアプリを開く。
今日はがんばろうと思うのに、何年も何年もこの繰り返し。



これは、なんにもがんばれなかった無力な少女が、やる気の本を書いて、がんばれなくて悩むあなたを主人公にするまでの物語。






スタートラインにすら立てない



「東大に行きたい」
そんな思いを胸に、わたしは地元を出て進学校に入学した。
入学時の成績は学年9位。
この時点で周りからは順風満帆だと思われた。

しかし、まったくそんなことはない。
わたしには中学のときからの悩みがある。
勉強したいのに、勉強に手をつけることができないのだ。

学校のみんなの平均勉強時間は平日3時間、休日5時間。
わたしの平均勉強時間は30分未満。
高校受験も、ほとんど勉強せずに合格してしまった。


「天才だから勉強しなくても成績がよくていいよね」
そう思われるかもしれない。

そんなわけないだろ。
「もし勉強していたらもっと成績がよかったかもしれないのに、その可能性を自らドブに捨てた」
ずっと、ずっと、ずっと、そう考えなきゃいけないんだぞ。


「『勉強していたらもっとできたかもしれない』という可能性に逃げているだけ」
「努力しなくてもできる天才だと思いたいだけ」

そんな可能性だって考えた。「自分は怠けている」という自責と一緒に。

でもさあ、努力して結果を出せるほうがいいに決まってる。
だって、才能頼みの結果なんて、努力した人間に追い越されるのを待つだけの運命だ。


カメに追い抜かれるのを寝て待つことしかできないウサギ。
どこまでも早く走れるのに起き上がることができないウサギ。


みんなはどう勉強するかで悩んでいるのに、わたしは「勉強する」というスタートラインにすら立てていない。



「やる気が出ない」困難に対する無理解



勉強をがんばっている友達に「どうすればやる気が出るの?」と聞いた。
「やる気がなくてもやってる」と返された。
まったく意味がわからなかった。
やる気がなかったらできないじゃん。


いつも宿題のやる気がでなくて困っているわたしは、ある日期限に宿題を間に合わせることができた。
「わたし宿題出したよ!」
そう友達に言った。がんばったねって言ってほしかったんだと思う。
「そんなの当たり前でしょ」
友達からそう言い放たれた。
こころから色が失われた。


勉強するために、がんばるために進学校に入学したのに、勉強をやらない。そんな自分が嫌い。
当時付き合っていた彼氏にメールで弱音を吐く。

返信がきたので、スマホを開く。
「きみはがんばれないんじゃなくて、がんばらないんだよ」

わたしはがんばれないんじゃなくて、がんばらないのかあ。
あなたからもそう見えるのか。
じゃあそうなのかなあ。

でもねえ、わたし、がんばろうと思ってもがんばれないなあって、ずっと、ずっと、ずっと、思うんだよ。


夏休み明け、宿題ができなかった自分が恥ずかしくて不登校になった。
自分はなにかがおかしいんじゃないかと思ったわたしは、親に頼みこんで精神科に行った。
じつは自分はADHDなんじゃないかと思っていた。

精神科での診断はこうだった。
「あなたは健康です」
わたしが検査で書いた木の幹が太いから、わたしは健康だそうだ。


学校に特別講師のかたがやってきた。
そのおじさんは特別授業のあと、マンツーマンで相談会を開いた。

わたしはおじさんのいる部屋のドアを開いた。

「勉強やらなきゃってわかってるんですけど、やる気がでなくて」
「やる気がでないじゃないよ、やりなさいよ」
ああ、このひともそう言うのか。はいはい、ムダ足だったなあ。

おじさんにいろいろ聞かれて、わたしは答えた。
「実家を出て一人暮らししてるんです」
わたしがそう言ったとき、おじさんは顔色を変えた。
「それをさきに言ってくれよ。そりゃがんばれないわな。大変だっただろう、いままでようがんばったなあ」

わたしは泣いた。
おじさんに感化されたからじゃない。
がんばれない自分を否定されて傷ついたのを我慢していたからだ。

ふざけんなよ。
じゃあわたしが一人暮らしじゃなかったら、がんばれないのは怠けなのかよ。
わたしが「一人暮らし」だから「がんばったなあ」「しょうがない」なのかよ。
わたし、一人暮らしするまえから勉強のやる気がでなかったんですけど。
結局わたしの苦しみなんて、なんにもわかってない。


すっとやる気が出る方法を探していた。
周囲から返ってくるのは無理解だった。


2年生の終わり、志望校を決める。
第一志望の京大はC判定。
一生懸命勉強すれば京大に受かる。
でも、いまのわたしにハードな勉強スケジュールを課したら、こころが壊れてしまうかもしれない。
京大は、諦めた。



「発達障害かもしれないから、精神科に行ってみる?」
大学に進学したわたしは、学生相談室でそう言われた。

二度目の精神科での診断結果は「ADHD」と「うつ病」。

正直、実感が湧かなかった。
ADHDってことで本当にいいのかなあ。
わたしががんばる努力をしてないだけじゃなくて?
診断に甘えてるだけなんじゃないかなあ。


診断を受けてしばらくして、怒りが湧いてきた。

遅い、いまさら遅いよ。
高校生まで、スクールカウンセラーも、保健室の先生も、精神科の先生も、親も、なんでだれもわたしが発達障害だって気づいてくれなかったんだよ。
気づいてたら治療薬だって飲めたじゃん。
先生から怒られることに怯える必要もなかったじゃん。
京大、目指せたかもしれないじゃん。



「やる気がなくてもできる」は大ウソ



やる気がでなくて困っていたわたしは、自己啓発書を読み漁り、タスク管理のセミナーにも顔を出した。
そこでやる気が出る方法を学んだが、ある問題にぶちあたった。


「やる気がなくてもがんばれるひとになる方法」
こういった表現を使う自己啓発書やセミナーが巷にあふれている。
しかし、こう書いてある方法がうまくいったためしがない。
「やる気がなくてもがんばれる方法」を実行するやる気がでないのだ。

結果、こうなる。


めちゃくちゃ悪循環~!!!
真面目で勉強熱心なひとほど、「やる気がでなくてもがんばれるんだ」って信じてこのループにはまってしまう。


「やる気は存在しない」
こんなことを言うひとまでいる。

デマを流布するのはやめてください。
この世にやる気が必要ない行動なんてない。
もし本当にやる気が存在しないなら、うつのひとがトイレに行くやる気がでなくて漏らしたことの説明がつかない。

やる気が存在しないというのは、東京大学教授の脳研究者である池谷裕二先生が「やる気は取りかかりはじめてから出るものである」と言ったことに由来している。


思うに、やる気は「やり始める前のやる気」と「やり始めた後のやる気」の二つのフェーズにわけられる。


池谷先生は「やり始めた後のやる気」のはなししかしていない。

やる気に困る大多数のひとはむしろ「やり始める前のやる気」に困難を抱えている。
実際「やり始めること」は、「やる気がある」ときはなんてことはないが、「やる気がない」ときはどんなに簡単なタスクでも最高難度のものになる。

そして、「やる気がない」ときに無理にやることをはじめてしまうと、頭が痛くなったり、頭にもやがかかったり、肩が凝ったり、嫌な考えが次々と襲ってきたり、手が止まってしまったりする。


「目的を再確認すればやる気が出る」
「最高の未来と最悪の未来を想像する」
これも自己啓発の分野で聞いたことがある。

目的を再確認してやる気がでたら苦労しないんだって~!
わたしみたいなのは、目的がわかっていてもやる気がでないのだ。


やる気に関する本は、研究者や実業家など、やる気を出すことにそこまで深刻に困ったことがないひとによって書かれている。
研究者や実業家というのは、ハードなタスクをたくさんこなすことができたからこそなれる職業である。
彼らには本気でやる気に困っているひと、とくにADHDやうつを抱えているひとの気持ちがわからない。


わかりやすくキャッチ―な「やる気がなくてもできる」というフレーズに釣られて、本気で困っているひとが踊らされている。

わたしはこの現状を変えたい。
本当にやる気がでなくて困っているひとに寄りそったハウツー本が書きたい。



やる気が出ないひとの気持ちがわかるわたしが、やる気の本を作る



やる気が出なくて困っているひとに届いて、役に立つ。
そんな本を作りたい。

わたしは書籍化にむけて、「もぐちゃん先生のやる気教室」を連載している。


これは、やる気が出なくて困っている高校生の成瀬波 成瑠(なせば なる)と、「やる気が出ない人間のプロ」であるもぐちゃん先生の二人の対話形式でやる気について学べる連載だ。


わたしはやる気の研究者ではない。
おまけに元来のやる気を出すむずかしさがあるので、やる気について大量の本や論文を読み漁れるわけでもない。
やる気が出ない困難を克服したわけでもない。

だから、この連載には「がんばれない自分を変えられる魔法の方法」は書かれていない。
この連載に書いてあるのは、「がんばるのがむずかしくてもなんとか小さな一歩をひとつひとつ積み上げていく方法」だ。
言うなれば、「自分を変えないやる気教室」なのである。


「もぐちゃん先生のやる気教室」の内容


「自分を変えられる」というキャッチコピーは麻薬のように魅力的だ。
こんな自分が変われたらどんなによいかって、わたしだってずっと考えている。

それでも、わたしは過去の自分に、そしていま困っているひとに教えてあげたい。
「自分が変わる方法を探すのに奔走すること」じゃなくて、「どれだけ小さな一歩でも自分のやりたいことを進めること」のほうにより多くの時間を使ってほしいと。



努力ができなくても、きみは主人公になれる



いまやる気がでなくて困っているひとへ。

跳ばないウサギは、カメより遅い。
本当は速く走れるのに、起き上がれずにカメたちに抜かされていく。
あなたは何度そのことに絶望しただろう。
もう進もうとするのなんてやめようと思ったかもしれない。
でも、諦めてないから苦しいんだよね。

周りにも、理解されなかっただろう。
ただ怠けているだけだと思われただろう。

わたしはあなたに正しい知識を与えて、あなたが前に進めるようにしたい。

カメより遅くたって、行きたいほうへ進んでいこうよ。
大丈夫、そんな感じでもあなたは進めるし、主人公になれるよ。


そして、この記事を読んでくださったかたへ。

あなたたちはいま、知識を得ました。
「ただの怠け」じゃなくて、やる気がでなくて苦しんでいるひとがいること。
それはあなたの身の回りのひとかもしれないし、あなたの子どもかもしれません。

もしご関心をもたれて、もっと知りたいと思われたのであれば、わたしがこれからも発信していきます。
気になるおはなしだけでもよいので、「もぐちゃん先生のやる気教室」を読んでいただけないでしょうか。
あなたが正しい知識を得ることで、助けられるひとがいます。


わたしはいまだにやる気が出ません。
ネット麻雀ばかりして一日を終えてしまう日も一日二日ではありません。
それでも、苦労しているわたしだからこそ届けられるものがある。

わたしは主人公を諦めていません。
がんばれないけどがんばろうとがんばっている、こんなわたしだからこそ応援してください。







才能はゼロだけど、努力で渡り合う主人公。
才能はゼロだけど、努力で無双する主人公。
才能はゼロだけど、努力で人を惹きつける主人公。

冒頭のこの主人公たち、全部モデルがいます。
どれもジャンプアニメの主人公です。
どれがだれかわかりましたか?


主人公ではないのですが、とっても気になっているキャラはいます。
『めだかボックス』の球磨川禊君です。
彼は「どんな勝負にも勝つことができない」という性質を持っているそうです。

彼のキャラソン『Want to be winner!』の歌詞に

正しく美しく可愛い奴に不幸なままで勝ってみせたい

というフレーズがあります。

アンチ・既存のヒーロー像な感じに共感しすぎて、この曲があたまのなかでヘビロテしてるんですよね。
正しく美しく可愛い奴じゃなかったら主人公になれないなんて、嫌じゃないですか。
わたしも、努力できないままで努力家に勝ってみせたい。

『めだかボックス』、いつか読んでみたいですね。


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