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いるだけでいいと自分に言えない



「あなたは生きているだけでいい」

 人にはそう思える。


「私は生きているだけでいい」

 自分にはそう思えない。



 石田月美さんのこちらの記事が素晴らしかったです。





 非常に感銘を受けました。
 この記事に触発されて私の実体験を書こうと思いました。



(この記事は2023年2月2日にはてなブログに投稿した記事を一部修正し再掲したものです。)




 私は現在無職である。


 うつ病を発症し、大学を2年留年した。

 大学卒業後は院試浪人をしたが、うつが悪化して受験ができなくなった。

 休養を経て週3のパートをしていたが、8ヶ月働いた後、半年の休職を経てパートを辞めた。

 未だに経済的に自立できず、家賃や生活費などを親に養ってもらっている。

 休職したときには、親の金銭的負担が増えてしまうことに対する申し訳なさがあった。




 そんな折、母方の祖父が亡くなった。


 私は母との確執のために今まで実家に帰らずにいたので、久々に実家に帰ることになった。



 親戚が話しているときに、弟が勤めている店で店長になったことを聞かされた。兄も身体の病気があるものの、一流企業で働いている。いとこたちも社会人として立派に働いている。

 働いていないのは私だけ。

 私は親戚のみんなといるとき,所在のなさを感じていた。



 祖父の死を前にして時の流れを感じ、未来のことを考えずにはいられなくなる。


 両親は60を超えている。両親がこれから一匹の犬と生きていくためにお金が必要だ。ずっと私にお金を使わせるわけにはいかない。


 親は私に働けと急かしたことは一度もなかった。しかし、内心は負担に思っているに違いない。私はそう憂慮していた。



 もし私がこれからも経済的に自立できなくて、両親が私を養えなくなったら?

 ひょっとすると、兄弟の世話になることもあるのか?

 兄弟が真面目に一生懸命働いて稼いだお金が働いていない私のために使われるなんて、そんな馬鹿な話があるか?



 実家に帰らなかった間に、実家は母が買った物が所狭しと並ぶ汚部屋になっていた。

「私にお金がかかっていることがストレスなのかな」

 気が塞いでいるからか、そんな邪推をしてしまう。




 お葬式が終わり自分のアパートに帰る前に、長年顔を合わせていなかった父方の祖母に顔を見せに行った。


 祖母は私の顔を見て喜んでくれた。


「もぐちゃんは出世したから忙しくて帰ってこれないんだって、弟君が言ってたよ」


 弟はそんな嘘はつかない。

 私に会えない寂しさをごまかすために、祖母は自分にそう言い聞かせていたのだろうか。そう思うと、そんな思いをさせて申し訳ない気持ちになった。


 本当は働いていないので、祖母の期待を裏切っている後ろめたさが影を落としていた。


「生きてることが一番だから」


 祖母は確かにそう言った。

 まるで私が死ぬことを考えていたことを見抜かれたみたいで、ドキッとした。




 自分のアパートに帰った後,私はこう思わずにはいられなかった。

「お父さん、お母さん、兄弟たち、自立できなくてごめんなさい。生きていてごめんなさい」



 それから私は、労働への恐怖に襲われた。

 労働に疲れていて,気まぐれに山奥ニートについて調べていた。そのとき、親に養われている人への罵倒を目にした。


「親の資産を食いつぶすだけのウンコ製造機人間」

「親が金をくれるのならそりゃ頑張る意味がない」


 頭ではこの言葉はヘイトスピーチだと分かっていた。
 しかし、心の中では自分のことを
「親に寄生してあぐらをかいている穀潰し」
だと非難されている気持ちになった。



 このまま家族のお荷物になりつづけるくらいなら、死んだ方がいいのではないかと思った。自殺の方法をネットで調べた。いつも移動で使っている電車に飛び込みたいという考えに支配された。




 私が定期的に参加している当事者研究の会で、
「死神さんがやってきていて困っています」
と打ち明けた。


「今まで私が頑張ってきたことは全部無駄だったのではないかと思って死にたくなる」

 私はそう話した。


 すると、あるメンバーが


「私が困っていた時にもぐさんの言ってくれたことが役に立ちました。私にとっては無駄じゃないですよ」


と言ってくれた。


 すごく嬉しかった。
 ”自分が役に立てたなら”生きていてよかったと思った。
 私は思わず泣きそうになった。


 他のメンバーも口々に温かい言葉をくれて、気持ちが楽になった。




 そんなことがあった後に、石田月美さんの記事に出会った。



「稼いでいても稼いでいなくても、役に立っていてもいなくても、私たちはみんな生きていていい。でも、自分にはそう言えなくなってしまうことがある。」



 そんなメッセージが、石田さんの記事から読み取れた。

 私は石田さんの記事を読んで泣いた。


「お前も! あの子も! マジでマジでみんなふざけんなよ! 能がないとか、いてもいなくてもとか、お前ら全員まとめてふざけんなよ! バカかよ! お前ら、バカな私より大バカかよ! なめてんじゃねーよ! 生きんだよ! ふざけんな、バーカ!」

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 この言葉が、自分に言われているようだった。



 人がただ生きていくことは、心無い言葉で簡単に否定されてしまう。

 そういう否定の言葉を、私たちは自分に言うようになってしまう。


 でも、そんな悪口に対して、貰い物の自己否定に対して、ふざけんなって言い返したい。


 私は家族や社会に迷惑をかけ続けるかもしれない。


 それでも、そうだとしても、私は私に、いるだけでいいと言えるようになりたい。


 石田さんの記事は、私にそう思わせてくれた。




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