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あの日ライブハウスで

 ゲームが好きだった。体を動かすのも好きだった。それ以外に取り立てて熱中したものはなかった。

 高校生2年生の時動画配信サイトを見ていた。その動画はドラマのような作りになっていた気がする。その内容を明確には覚えていない。しかし、オープニングは今でもはっきり覚えている。小学校ではしゃぐ子供たち。そして、それと一緒に流れてきた音楽。


 うわ!なにこれ!かっこいい!すげえ!なんていう曲だろう。・・・なるほど・・・あ、動画ある。


 自分が「音楽が好きだ!」と思えた最初の瞬間だった。しかし、その時は人前で歌おうなんて全く考えていなかった。

 そこから、激しめの音楽、ロックに傾倒した。すこし前の邦楽にどっぷりとつかった。

 そのころ、自分には大きな課題が課されていた。受験である。自分でいうのもなんだが、かなり真剣に勉強していた。疲れたとも思えないくらいに。

 加えて、そのころ対人関係においてもいくつか問題を抱えていた。今考えると取るに足らない問題だったかもしれない。ただ、当時受験勉強により心の許容量がほとんど満たされていた自分にとって、この問題は大きな悲しみをもたらした。

 三年生になった。相変わらず受験への努力は続く。このころになると、友人との話題はもっぱら志望校はどこにするだとか、どの単元が難しいだとかになった。何らかのイベントがあればそれの話題でもちきりになるが、頭の中には受験勉強のことが常に居座っていた。

 受験勉強がより追い込みにかかると朝の早起きが必要になる。毎朝いつもより一時間早く起きて勉強をし、放課後は予備校の自習室にこもり21時まで勉強をする。そんな日々が続いた。

 こんな日々において癒しとなったのは友人と音楽だった。高校生になりイヤホンを買った。自分は最寄駅からの帰り道音楽をよく聞いていた。

 今日も一日が終わる。今日も21時まで自習室にこもった。最寄駅からの帰り道音楽を聴きながら帰る。帰り道は裏道のようになっており、夜になるとほとんど人がいない。イヤホンから聞こえてきたのはあのバンドの一番好きなあの曲。聞いていると、なぜか無性に叫びたくなった。

誰もいないしやってしまおうか・・・?いやさすがにダメか・・・

 そして、その帰り道を何度も何度も音楽とともに歩き、徐々にその衝動的な欲求がちゃんとした形になり、そこで初めて人前で歌うことへの欲求が強くなった。

 それを具体的な行動に移すには時間と環境、そして勇気が必要だった。第一に自分は目下受験勉強中であり、とてもじゃないが歌に時間を割いている余裕はない。そして、運動部に所属していた自分は今すぐ人前で歌う用意はない。何より人前で歌うためには大きな大きな勇気が必要だった。元々歌がうまいわけではない。なんなら小学生の時に「音痴」と言われた記憶もある。

 そんな理由で、自分は人前で歌うことを夢見ながら黙々と勉強を続けていた。

 結果、なんとか大学に合格できた。入学式も終わり大学に向かうとサークルの勧誘が押し寄せる。チラシを何枚かもらいながらバンドサークルを探した。

 いくつかバンドサークルは見つかったが、その違いがさっぱり分からない。そのとき、あるコピーバンドサークルの「新人ライブ出演者募集」のお知らせが見えた。自分は「出れるならどこでもいいや」とそのサークルに入ろうと思った。

 しかし、その日はサークル加入届を出すことはなかった。本当に人前で歌えるのか?急に不安になった。

 そこから一週間悩んだ。人前で、しかも歌っているのは自分一人だけ。誰かに笑われないだろうか。昔の友人にばれてしまわないだろうか。様々な不安と憶病が体を締め付けていた。

 それでも、歌おうと思えた。あの日あの夜あの帰り道に思ったことはもうどうしようもなくかなえたいことで、いままでの人生でないくらいに自然に沸き上がったものだった。もしここでやらないという決断をすれば、いつかまたそいつが顔を出して、その時の自分に罵声を浴びせて否定する。未来すら見限る。ならば、たとえ笑われようとも笑って後悔したい。



自分は新人ライブに応募した。


 


 しばらくして一緒に出るメンバーが決まった。みんな軽音部に所属していたらしい。初心者は僕だけだ。パートはボーカル。

 メンバーと初めて会ったのはスタジオ練習の時だった。

「それじゃあ合わせてみようか」

ドラムの先輩が言う。

「ワン・ツー・スリー・・・」

 スタジオ内に爆音が響く。自分は心底びっくりした。「こんなにでかいのか」。それに負けないように一生懸命歌った。

 スタジオ練習も無事に終わり、家でひたすら演奏する曲を聞く日々が続いた。ライブ前日は寝られなかった。

 家からライブハウスまでは長時間電車にのる必要があった。自分はBluetoothのイヤホンを耳にさし、何度も何度もその曲を聞いた。

 ライブハウスについた。実はライブハウスというものを一度も訪れたことはない。そのライブハウスは地下にあったから、本当にここであっているのか心配になった。

 扉を開ける。そこには受付らしきカウンターとその奥に分厚い扉があった。扉の向こうから歌声が漏れている。

 分厚い扉を開けると、密閉性の高いライブハウスの空気が襲い掛かってきた。スタジオに入ったときと同じ空気が。ステージ上では女性が歌っている。30分後にはあそこで自分も歌うんだ。ステージ上のバラードとは裏腹に胸の鼓動は早くなっていた。

 控室らしきところに荷物を置きに行くと、高校の時の同級生に遭遇した。たまたま同じサークルに入ったらしい。知らなかった自分は心底驚いた。

「あれ、バンドサークル入ったんだ」

自分ははっきりと

「うん、そう。バンドやってみたかったんだ」

といった。

 自分の出番が迫ってくる。ひとつ前のバンドが最後の曲に入った。自分はそれをよそにイヤホンをつける。バンドハウスには爆音が響いているため、スマホの音量を上げる必要があった。

 ついに出番がきた。ステージに上がるといくつもの目がこちらを見ている。ちらほらスマホをいじっている人もいる。同級生もその中にいた。

 ギターやベースがチューニングや音合わせをする中、自分は手持無沙汰そうにおなかを軽くたたいた。

 音量調節のため、最初にサビの部分を演奏してみる。自分の歌声が少し高くなっているのがわかった。

 いよいよ本番が来た。夜道一人イヤホンで音楽を聴いていた高校生は、いまたくさんの人に見られて歌おうとしている。

「ワン・ツー・スリー・・・」

 ギターから曲は始まる。自分は客席を右手前のはじ、右奥のはじ、左奥のはじ、左手前のはじと半円を描くように見ながら少し息を吸う。そして歌い出した。

――――




 それ以降も何度かライブに出演した。そして、その間にいろんなことがあった。でも一番記憶に残っているのは初めてのライブだ。あの時偶然好きな音楽に出会い、そしてあの日悩みぬいた結果ライブに出ることを決意し、そして小さく息を吸ったあの瞬間。もうすべての悩みが吹き飛ぶくらい楽しかった。これらの決断は何ら社会に影響を与えていない。誰かを幸せにしたわけでもないし、簡単にできる人間はいくらでもいる。それでも、あの一歩は自分にとって大きな一歩だった。

それらは大きな大きな足跡となった。