君たちはどう生きるか。感想駄文大失礼。
ジブリ最新作品、
「君たちはどう生きるか」を観た。
観る前の心構えとして
監督は宮崎駿さんということで
晩年の作品になると思っているし、
事前情報の公開を避けた事から
大衆には向けず
伝わる人に伝わればいいという覚悟があるはずだと思った。
ジブリ作品は日本としてでなく世界でも
人気なのは当然で
その膨大で圧倒的なアウトプットは
幼少期から今日までのインプットがあるはずである。
その中であの本に焦点を当てて
これまでの経験やインプットをこの作品に託して
観る人たちへ何かを訴えているんだろうな。
インプットを続けた物はアウトプットを欲望とする。承認欲求。
例えば
好きな曲を聴き続けて
ギターの演奏が好きになって
手に取りたくなって買って
ギターを毎日鍛錬して
誰かに聴かせたいからネットに公開する。
毎日鍛錬するとか、
情報収集するとかって面倒くさいってなる時点で
アウトプットに錆がでる。
好きという事が鍛錬への情熱に火力を与える。
今、毎日同じインプットをしている事ってなんだろう。
誰にも刺さらなくてもいいから
好きで好きでたまらない情熱をかけられる一つを
手に入れれば、
そのアウトプットに刺さった人に衝動を与える事ができる。
そういう作風は必ず大衆的ではない。
今まで映画とか本とか読んでみて
妙に豪華な若手俳優が出演して
さらに広告が目立っていたから
観てみた作品があるけど
面白い作品が少なかったりする。
大衆は広告によって流動されるから
そういう作品が人気になると
世間のエンタメを解釈する能力が欠けてしまうのではないかと心配になる。
面白い作品をレビューや広告に頼らず
面白いモノを面白いと思う世間の平熱を上げていく事がとても大切だなあと。
君たちはどう生きるか
色んな解釈ができて楽しい。
聴取する人の中でも
面白くない映画として捉えてしまう人もいれば、
刺さった、もしくは刺さりたい聴衆は
色んな伏線回収を調べさせたり、
あの本について知りたくなったりして
熱を持たせているから
これが今回のジブリ作品の凄さだなあとも思う。
広告を打たない監督自身の覚悟が
見る人への理解度を試している様な気もする。
あるレビューでは
今作品を美術品として捉えていて
抽象画、つまりは観る人に解釈を託す。
ピカソの誰にも描けそうで誰にも描けないあの絵のような感覚の事を言っていた。
とてもしっくりくるなとも思った。
オリジナリティを極める事の凄さを
改めて唸らせられたな。
毎日みているヤフオク探検が何か役に立つかもしれない。(は?)