「愛にイナズマ」 鑑賞録①
映画監督デビューを目前にした折村花子(演:松岡茉優)が、現実と嘘に振り回された絶望の折、家族との照れくさい愛に気づかされる話。
前半は、「消えた女」の制作から監督の交代までが描かれる。
嘘について
花子は常にカメラを構え、日常のあれこれを記録し、作品への着想を得ている。
たまたま居合わせた「飛び降り自殺」の現場にて、人として「絶対にありえない」振る舞いをする野次馬たちと出会う。
・野次馬はこぞってカメラを向け、中には「早く飛び降りろ」と死を促す者さえいる世界
コロナ渦となり、人々はマスクをつけるようになった。自分の顔を隠し、相手の顔ももちろん見えない。外出を含めた生身で「出会う」機会も自粛の波に飲み込まれ、「相手」への認識が着実に歪んでいる。
相手が意識のある生身の人間である認識が薄れた昨今、飛び降り自殺という奇抜な現場は一つのエンタメに過ぎない。どころか、自粛自粛と鬱屈とした日常の退屈をしのぐ「面白い刺激」ですらあるだろう。その歪んだ現実に花子は気づき、カメラを向けた。
・ありえない現実
しかし、人の命を軽んじエンタメとして消費する人など、この世には存在しないのである。今にも飛び降りそうな人間にカメラを向けるものはおろか、「早く飛び降りろ」と唆す者、「飛び降りないのかよ」と悪態をつく者、そんな心ない人間はこの世に絶対に存在しない。
それらはマスクという仮面の下に包み隠され、世間の表の部分では決して認知してはいけない。
それらの歪みが存在すること自体が嘘であり、それらを嘘とするこの世の中自体が一つの大きな歪んだ嘘なのだろう。
・落合の死
「消えた女」の出演が取り消しとなり、失意の落合は自ら命を絶つ。
世の中の歪みにかけ違えられていく、余ったボタンであり、犠牲者である。社会の都合で前途を失った若者の弱さと脆さを描いているのではないだろうか。
・葬儀
落合の葬儀のシーンに一つの真実が描かれていた。
葬儀に向かう花子の背中を見つけたプロデューサーの原は、まるで街中で旧友を見かけたときのような微笑みを浮かべ花子に駆け寄るのである。
落合を理不尽に切り捨て、死のきっかけを作った当事者であるにもかかわらず、その振る舞いは異様そのものであり、花子が「見た」飛び降り自殺の野次馬の無慈悲を否定した「嘘」の嘘の影をより濃く、わざとらしいまでに生々しく「真実」を描いたシーンであった。
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