ディープコミュニティーは災害時に必要か
東日本大震災で発揮した「隣近所のつながり」
東日本大震災の発生から9年が経過しました。
多くの人に支えらたことは今も忘れられません。
避難所や仮設住宅では震災前のお祭りなどでつながっていた人たちが中心となり和気あいあいと運営ができました。
知り合い同士が隣近所に声掛けをしてくださって、支援や住宅再建などの情報発信や全員の体調管理に協力してくださいました。
その拠点となったのが集会所です。
米崎小学校の集会所は13坪と、けっして広い建物ではありませんが、「お茶会」「手芸」「物資配布」などが行われ、多い時には支援者さんと住民あわせて50人くらいが集まったこともあります。
また、青年団や支援活動に来たNPOの会議場としても貸し出し、多くの「新しい動き」が生まれました。
「集会所」に集まる人の傾向
お茶会や物資配布などで被災した人を集める中で、ある「傾向」がみられました。
集まる人のほとんどが「お母さん」なんです。
ときどきは「お父さん」も来てくれますが、説明会やお酒のある時に限られます。
20代、30代、40代の若者は何をしても来てくれません。
恥ずかしいのか、場違いと感じるのかはわかりませんが役員会の時以外来てくれることはありません。
他人と話す機会は求めない
最近、友人知人が集まる機会があり、多くの人の前で「震災後に起きたことと対応」をお話しさせていただく機会がありました。
その中で、知人から「集会所が苦手だった」とコメントをいただいた。
俺より若い人です。
その人は、陸前高田市内にあった自宅は流されたものの米小に住んでいなかったのですが、情報や支援をつないでくれた人です。
被災時の集会所に来なかった若い人もそうですが、支援や調査に来た学生もアパートに戻ると隣近所の人の名前も知らない。名前も知らないという人は少なくありません。
学生にアパートには「自治会などはないの?」と聞くと「ありません。あっても行く気になれない」という人は少なくありません。「地域の情報を知る機会はないの?」と聞くと「SNSで回って来ることが多く、学校とバイト以外で他人と話す機会はないし、求めない」とのこと。
都内でアパートに暮らす学生の多くは地方出身であり「田舎に戻ると隣近所の人の名前も顔も家族構成も知っている」という人が多く、コミュニティを否定している感じはしない。
それでも「他人と話す機会は求めない」らしい。
ディープなコミュニティが苦手
田舎で「田舎に戻ると隣近所の人の名前も顔も家族構成も知っている」と話す学生も都内で暮らしていると隣近所に名前や年齢などを知られたくない。と話す。理由は、防犯だという。
都内の生活に慣れて田舎に戻ると近所には、進学先や成績やバイトの内容が知れ渡っていることに驚き、いやになることもある。とのこと。
そうして、だんだんとディープなコミュニティが嫌になってくる。
実際には、誰ともつながりがなく生きている人はいない。
学校、職場、趣味の集まり、買い物などで知り合いを作ることは難しくもないし、なくては生きていけないと思う。
しかし、ディープなコミュニティはなくても生きていける。
ディープコミュニティーなしで被災したら
そこで防災士として気になるのは、ディープコミュニティーがない場所で地震や台風で被災したらどうなるのか。ということ。
隣近所が自分の家の家族構成を知らないために気を失った自分が助けられ家に残っていた高齢の母が取り残されたら後悔するだろう。
情報はネットやSNSで十分なのだろうか。
SNSには、情報があふれているが、信用できる情報ばかりではない。
発災直後から、避難所や食事などの「死なないための情報」、病気にならないための「生活支援情報」、復興するための「助成金の情報」などがあふれる。
中には、デマや詐欺師による情報が少なからず含まれる。
東日本大震災の時には「紙による情報」が行政や支援団体から集まり、週に一度「回覧板」として配布した。その厚さは、多い時には3センチにもなった。
「来週から市役所で義援金の申請が始まる」
「明日、●●公民館でNPOによる物資配布がある」
「住宅再建の説明会は、いつだっけ?」などなど。
これをすべて一人で読んで理解し頭に入れることは難しいし、情報から取り残されれば自分や家族が不利益を被る。
震災時の集会所では、お茶会の時に情報雑談の中にこうした情報が交わされた。
(だからといって、家族の仕事や病気などの個人情報がダダ洩れで良いとは思わない)
集会所での活動は「正解」だったのか
9年前から続いた集会所での集まりは、全員ではないもののある程度の人数が集まったから成立し継続した。
もしも、あの時「ある程度の人数」が集まらなかったら、どうなっただろうか。
情報は広がらず、重要な情報から取りこぼされる人もいただろう。
しかし、集会所があることでご近所作りと情報の拡散に満足してしまった自分がいることは確かで「全員への情報の周知」がなされなかったことは間違いない。
あの時、情報から取りこぼされた人は今どうしているだろうか。
我が家のディープコミュニティー
私の家族は7人暮らし。妻と息子、娘と両親がいる。
昭和12人生まれの父は、今も健在で我が家の家長です。
親戚、近所の冠婚葬祭には父が出席するので、俺自身は3親等以内の冠婚葬祭には出席することは少ない。
その分、仕事を休む必要がなく、助かっている。
冠婚葬祭から帰ると父は、親戚やご近所の家族の状況など多くの「情報」を持って帰る。
その情報があったからこそ、避難所でも仮設住宅でも「即戦力」となる役員を見つけて運営できた。
近いうちに「その情報」もやり取りされることは少なくなるだろう。
それを前提に「地域防災」を見直す時期が来ていると思う。
ディープコミュニティーに代わるSNSコミュニティー
前に書いた通り、SNSは便利ですが、嘘、詐欺、思い込みなども含まれる。
間違った情報には必ず「否定するコメント」がつけられるが、拡散のスピードが速いと打ち消すことは容易ではない。
SNSを使い、発信、受信する人は、やみくもに拡散せずに「情報の正確さ」を自分自身の責任で「精査してから拡散する」ことを身に着けてほしい。
また、SNS運営の担当に届いてほしいのは「いいね」や「困った」や「コメント欄」だけでなく、新しく「誤情報」のボタンが付けられることを期待する。
SNSは個人からの発信が多く、やみくもに「削除」をすると「検閲」になる可能性がある。
削除ではなく「誤情報」ボタンなら、拡散した内容を見る人にも注意喚起になると思う。