一期一会 / YUKIMASA IDA Crystallization を見て感じたこと
井田幸昌作品集 を見ながら、
これを「言語化」しようとするには、どうすればいいかなと考えた。しかし、芸術について、何も学んだことがないので、どう表現すればいいかがわからない。
どうしようかなと考え、本書のなかに寄稿されている文章や、ネットで井田幸昌氏の記事を調べていくうちに、ひっかかりがあったので、感じたことを書いてみる。
今日は、「芸術を知らない人」の「画集」のコメントなので、読む価値がまったくないかもしれません。(文章もゆるい感じのままです)
井田幸昌 氏とは
1990 年 鳥取県(日本)生まれ
2019年東京藝術大学大学院油画修了。
これまで「VOCA展 2016」に参加したほか、同年行われた現代芸術振興財団主催の「CAF賞」で「名和晃平賞」を受賞。
17年にはレオナルド・ディカプリオファウンデーションオークションへ最年少で参加した。
おもな個展に「Rhapsody」(ロンドン、2019)「Portraits」(東京、2019)、「The End of Today」(北京、2019)、「Banquet」(NAUFU Contemporary、岐阜、2017)、 「Bespoke」(Labassa Woolfe、ロンドン、2016)など。他多数のグループ展やアートフェアへの参加実績あり。東京を拠点に世界で活動中。
作品の一貫したテーマは「一期一会」。「今、という二度と体感できない時」を表現している。
引用:https://www.kotaronukaga.com/projects/yukimasa-ida/
一期一会
井田さんの作品のテーマは、「一期一会」。
作品の多くは、人物の顔をモチーフにある瞬間というものを切り取ったもの。(切り取ろうとしたときのものという方が正確かも)
「切り取ったもの」という時点で、その作品で「描かれる対象」は過去であり、時間の経過によって変化していることが表現されています。画家の記憶をたどりながら描かれるからこそ、鮮明に描写される部分と、抽象的に顔がつぶされるような部分が存在している。
この「一期一会」とは、人生において、出会いだけではなくて、その人との関係性の「いま」が「一会」だと感じる。写真では切り取れない「今」という時間と記憶の不完全さが表現されている。
ビジネスで捉えるとどういう学びがあるのか
この「作品集」からビジネスで捉える学びを考えました。
上記の前澤さんの作品でもわかるけど、「精巧な部分」と、「抽象的な部分」が混在しているのが、井田さんの作品の特徴のひとつ。作品集に載っている「レオナルド・ディカプリオ」や「ピカソ」など有名人もその人とはわかるけど、顔の一部は抽象的に描かれてる。
「精巧な部分」と「抽象的な部分」が、混在しているからの「迫力」を感じる。おそらく、すべてが精巧にかかれていると、これだけの迫力は感じない。
「抽象的な部分」というのは、「いま」の記憶 / 感情を重ねられる部分になっていて、自分が妄想できるという作品における余白が記憶のなかで自分自身の作品に昇華させていることで一期一会の価値にさせていると感じた。
たとえば、組織やサービスにおいて、「あるべき姿 / 目指すべき姿」を定義するというのは、よく実施されている。
その「あるべき姿 / 目指すべき姿」に合わせて、設計をしていくけど、例えば、本当に設計通りに成長したとして、魅力的な組織やサービスに感じるのか?ということかもしれない。
自分の記憶 / 感情を重ねることができる余白をもつことで、自分自身の作品に昇華することで、自分毎かできる強い組織やサービスにすることができるかもしれない。
精巧な部分の重要性
抽象的な自分の記憶 / 感情を、すべて自由にできると言われるとどうか。
「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE. ~現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ~(著)佐渡島庸平」に書かれていた、「砂場で完成前のピラミッドを作っておくと、通りかかった人が完成させていく。しかし、何もない砂場では誰もピラミッドを作ろうとしない」が思い出される。
精巧な部分が、呼び水となっているからこそ、自分の記憶 / 感情をのせることができる抽象的な部分に価値がでてきている。そのバランスが大切ということだと感じた。
多分に勝手な素人解釈なので、ぜんぜん違うかもしれませんが、とりあえず、いま思ったことを書いて見ました。
最後に
本書に掲載されていた井田さんのメッセージを引用します。
作品を通して、問い続けているということだと思いました。自分もこの作品を見ながら、どう生きていくのか、どう働くのかを問い続けることで、魅力的な組織・サービスを作っていかなければと思いました。
とても素晴らしい作品なので、ぜひ読んで見ることをおすすめします!
カンバスの表層にイメージを表出させちょうとした時、抽象とも写実ともつかない"何か"が生成されていく。対峙するものと、私との間に発生する破綻と構築。存在とはいったい何なのか、という、結論のない問い。
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