『待つ』太宰治 「主人公を好きになりたい」と、遠い目で
○はじめに
このnoteは、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語る設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
『待つ』太宰治
【太宰治の作品を語る上でのポイント】
①「太宰」と呼ぶ
②自分のことを書いていると言う
③笑いのセンスを指摘する
の3点です。
①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「太宰」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。
②に関しては、太宰治を好きな人が声を揃えて言う感想です。「俺は太宰治の生まれ変わりだ」とまで言っても良いです。
③に関しては、芸人で文筆家の又吉直樹さんが語る太宰治の像です。確かに太宰治の短編を読むとユーモアがあって素直に笑えます。
○以下会話
■主人公の気持ちが痛いほどわかってしまう
「あまり有名じゃない太宰の作品か。そうだな『待つ』がオススメかな。
『待つ』は、主人公のはたちの女性が駅の前でただひたすらに何かを待っているっていう小説なんだ。その女性は毎日駅の冷たいベンチに腰を下ろして、改札口の方をぼんやりと見つめているんだよ。改札からは、電車を降りた人が出てきて、各々の方向に散り散りに歩いて行くんだ。たくさんの人が彼女の脇を通って行くけど、だれも彼女に声をかけたりはしない。なぜなら彼女の待ち人はそこにはいないから。彼女は誰を待っているのか、果たしてそれは人なのか、もしくは本当に待っているのか、自分でも分からないんだ。でもひたすらに駅の前で待ってる。いつか誰かが、何かが来てくれるのを待っている。それはパッと明るい素晴らしいものなのか、それとも春のように暖かいものなのか、もしくは五月の清水のように爽やかなものか、それは分からない。だけれども、やっぱり待っている、胸を踊らせて待っている。っていうお話なんだ。
ストーリーも何もなく本当にただこれだけのお話なんだけど、僕は高校3年生の時に、塾の休憩室でこの小説を読んで、なんだか衝撃を受けちゃったんだよ。
主人公が何かをひたすらに待っている、このうじうじした感じに、正直ものすごい共感してしまうんだ。きっと、夢があって、何かに全力で打ち込んでいて、毎日努力して、一生懸命に生きている人には、「何を甘えたこと言ってるんだ」って一蹴されてしまうだろうけど、努力の方向性が分からず、いや努力すらしていないのかもしれない僕には、彼女が「何か」をひたすら待つ気持ちが分かってしまうんだよね。本当は分かりたくないんだけど、わかりすぎてしまって、自分の中に彼女と似たところを見つけてしまい、同族嫌悪というのか、この小説を自分と遠いところに追いやってしまいたい気持ちにさえなるんだよ。「待ってるんじゃなくて、自分から動けよ」って、怒られてしまうだろうけど、何かが怖くて、待ってることも怖くて、でもやっぱり臆病で、結局待ってしまうんだよ。弱いよね。
■桜桃忌
6月19日の今日は桜桃忌という日なんだ。太宰の誕生日であって太宰の遺体が発見された日で、太宰の最後の小説になった『桜桃』に因んで付けられたんだ。太宰は、玉川で愛人と共に入水自殺をするんだけど、その入水した日が6月13日で、遺体が見つかった日が偶然太宰の生まれた日でもある6月19日だったんだ。誕生日とか何かの記念日の人には申し訳ないけど、大半の人にとっては何の変哲もない意識することのない日だよね。ゾロ目とか季節の節目ではなく、何とも覚えづらい日常にすっかり溶け込んでるこの日が、太宰を代表する日になっているのはいかにも太宰らしいよね。
6月19日に中央線三鷹駅で降りると、たくさんの太宰ファンに遭遇できるんだよ。皆、太宰が眠っている禅林寺に向かうんだ。太宰の墓の前にはお花とかお酒とかたくさんのお供え物が置かれているんだけど、桜桃忌にちなんで桜桃(さくらんぼ)のお供え物が一番多いんだ。太宰の墓石には「太宰治」と彫られてるんだけど、その文字のくぼみに、無理やりさくらんぼが詰められているんだよ。遠目から見たら墓石の黒に赤が映えて綺麗なんだけど、「おい食えよ」って無理やり口に押し込まれているようで、なんだか笑えるんだよね。
僕が大学入学のために上京した年の6月19日は、バイトで知り合った吉本の若手芸人の方のライブを観に、渋谷にあるヨシモト∞ホールに行ったんだ。200席以上ある客席は20人くらいしか座ってなくて、スカスカ感は否めなかったけど、ステージに立った芸人さん達は、全力で僕らを笑わせに来ていたんだ。彼らはいつか売れる日を夢見る、紛れもなく「動いている」人たちだった。夕方ライブが終わって劇場を出ようとすると、チケットブースで次のライブのチケットが手売りされていたんだ。誰のライブかなってちらっと見ると、ピースの又吉さんのライブだったんだ。又吉さんは桜桃忌の6月19日に毎年「太宰ナイト」というライブを開催しているらしく、まだ当日券が残っていたんだよ。僕は迷わずチケットを買ってライブを観たんだ。正直内容はあまり覚えてないんだけど、テレビで見るより体幹がしっかりしていて、声もよく通る又吉さんの印象だけ覚えてる。そして面白かったことも覚えてる。とりあえず初めての生の又吉さんと、又吉さんの太宰への愛と、観客の熱気と、1時間前の若手芸人のライブとの差に圧倒されてしまったんだよ。劇場を出て夜の渋谷を歩いていると、僕はいま東京で生きてるんだなって実感が湧いてきたのを覚えてる。
あの時から僕は果たして成長できているのか、まだ「待っている」人間なのか、ちょっと分からないところではあるんだけど、この『待つ』の主人公を温かい目で見守ってあげられるような大人に早くなりないな。」