『ドライブ・マイ・カー』村上春樹 「不穏な空気が流れてる」
このnoteは、本の内容をまだその本を読んでない人に対してカッコよく語っている設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
『ドライブ・マイ・カー』村上春樹
【村上春樹の作品を語る上でのポイント】
①「春樹」と呼ぶ
②最近の長編作品を批判する
③自分を主人公へ寄せる
の3点です。
①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「春樹」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。
②に関して、村上作品は初期は比較的短編が多く、いわゆるハルキストの中には、一定数短編至上主義者が存在します。そこに乗るとかっこいいです。
③作品に共通して、主人公は「聡明でお洒落で達観しててどこか憂鬱で、女にモテる」という特徴を持っています。その主人公に自分がどことなく似ていると認めさせることで、かっこいい人間であることと同義になります。
○以下会話
■映画化される村上作品
「静かな気持ちになる小説か。そうだな、そしたら村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』がオススメかな。この小説は『女のいない男たち』という短編集に編纂されている小説なんだ。2021年の夏に映画化もされる予定で、今注目の村上作品なんだよ。
一般的に村上春樹の作品は、異空間に入り込んだり不思議な生態系が登場することが多いけど、この小説は現実世界を描いていてとてもわかりやすい話なんだよ。だけど村上春樹作品特有の静かでオシャレな雰囲気はあるから、日常生活に根ざしているだけに、よりリアルに村上ワールドを感じられるんだ。
そして『ドライブ・マイ・カー』というタイトルは、実はビートルズに同名の曲があっておそらくそこから名付けているんだ。作中にこの曲自体は出てこないけれど、もし知らなかったら一応聞いてみて。僕はこの曲と関連づけてこの小説を解釈することは難しくてできなかったけれど、歌詞に着目して改めて読み直したら何か発見できるかもしれないよ。
■不倫の話
主人公は50代の舞台俳優の男性、家福(かふく)。彼はいつも黄色のサーブ900コンバーティブルという車を運転して、その日の舞台のセリフを練習しながら仕事現場に行くことをルーティンとしていたんだ。だけどある日、飲酒運転をして接触事故を起こして、同時に検査で緑内障の兆候がみられたことで、事務所から運転を止められたんだ。そこで渡利みさきというドライバーを紹介されて、その日から彼女の運転で仕事場に向かうことになった、というところから物語が始まるんだよ。
家福は結婚をしていたけど、10年前に奥さんを亡くしていたんだ。その奥さんは二つ年下の女優で、美しい顔立ちで正当的な美人女優として活躍していたんだよ。家福は彼女を愛していたし、29歳で出会って、49歳で死別するまで愛し続けていたんだ。だけど、奥さんは不倫をしていたんだ。
直接現場を突き止めたわけではないけれど、少なくとも4人の男性と関係を持っていたことは、家福の直感で分かっていたんだよ。彼女は決まって映画で共演する俳優と関係を持ち、撮影が終わると自然に消滅するというパターンを繰り返していたようなんだ。
そんなある日、渡利みさきに「家福さんはどうして友だちとかつくらないんですか?」と聞かれたことをきっかけに、妻が亡くなった後、妻の最後の不倫相手である高槻という俳優と友達になったことを話し始めるんだ。家福は、奥さんの死後、どうして奥さんがその男と寝ることになったのか、寝なくてはいけなかったのかを理解したくて、高槻に近づき交流を始めたんだ。
最初は高槻の弱みを握ってなんとかして懲らしめてやろうと考えていたけれど、何度も一緒に飲んでいるうちに好感をもってきて友達の関係になってしまったんだ。だけどそのうちに段々と連絡も取らず会わなくなっていき、今はもう10年以上会ってないんだ。
結局家福はどうして奥さんが高槻と寝たのかはわからないままだったんだ。確かに高槻は性格も良くてハンサムで自分より若いけれど、はっきり言って大したことのない人間で、どうして奥さんが高槻に惹かれて関係をもったのか解決できなかったんだよ。
でもこれに対して渡利みさきが「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか。だから寝たんです。」と言い放つんだ。これで話は終わり。
■不穏な空気が漂ってる
この『ドライブ・マイ・カー』の主人公は他の村上作品の主人公とは少し違った点があるんだ。それは妻が不倫をしているという点。
村上春樹の小説では、主人公の男性が複数の女性と関係を持つことが多いんだ。だけど今回は、主人公ではなくその妻が同僚と不倫をしている。つまり不倫をする側ではなくて不倫をされる側の立場で物語が進むんだ。そしてその傷と向き合う過程が描かれているんだ。『ねじまき鳥クロニクル』という長編小説でも主人公が妻に不倫をされるんだけど、物語の主軸ではないんだ。だから主人公が不倫をされているという『ドライブ・マイ・カー』の設定は、村上春樹の小説では珍しいと思う。
この「妻に不倫されている」という設定によって、物語全体に怒りから生じる緊張感がでてるんだよ。よくある村上作品では、誤解を恐れずに言ったら、不倫を「オシャレ」に描いているんだ。だけど『ドライブ・マイ・カー』では不倫を第一のテーマに置いて、主人公が深刻に真正面からショックを受けているから、不倫相手への怒りから緊迫した空気が流れるんだよ。
例えば、家福が高槻と会話してるシーン。一般的に村上春樹の書く会話は、英語をそのまま和訳したような特徴的な会話をするんだよ。静かに、ウィットに飛んだやり取りをするんだ。
だけど家福と高槻の会話では、家福が高槻を追い詰めて明確な答えを求めようとするんだ。例えば家福が「奥さんのことを全ては理解できていなかったのかもしれない」と打ち明けるシーン。
「僕は彼女の中にある、何か大事なものを見落としていたのかもしれない。いや、目で見てはいても、実際にはそれが見えていなかったのかもしれない。」<中略>
「その気持ちはわかります。」と高槻は言った。
家福はじっと高槻の目を見た。高槻はしばらくその視線を受けていたが、やがて目を逸らせた。
「わかるって、どんな風に?」と家福は静かに尋ねた。
バーテンダーがオン・ザ・ロックのお代わりをもってやって来て、湿って膨らんだ紙のコースターを新しいものに取り替えた。そのあいだ二人は沈黙を守っていた。
「わかるって、どんな風に?」、バーテンダーが去ると、家福は再度尋ねた。
家福は高槻に照準をバッチリ合わせて「その気持ちはわかります」という高槻の軽い発言を問い詰めてるよね。家福の怒りと怖さと冷酷さがみえる。
同じように主人公が相手の発言を聞き直すという構造をとってるのは、例えば『ノルウェイの森』にもあるんだ。主人公の僕と友人、のちに恋人になる直子との会話。
「ねえ、もしよかったら もしあなたにとって迷惑じゃなかったらということなんだけど 私たちまた会えるかしら?もちろんこんなこと言える筋合じゃないことはよくわかっているんだけど」
「筋合?」と僕はびっくりして言った。「筋合じゃないってどういうこと?」
彼女は赤くなった。たぶん僕は少しびっくりしすぎたのだろう。
「うまく説明できないのよ」と直子は弁解するように言った。<中略>「筋合なんて言うつもりはなかったの。もっと違った風に言うつもりだったの」<中略>
「かまわないよ」と僕は言った。「君の言おうとしてることはなんとなくわかるから。僕にもどう言えばいいのかわからないけどさ。」
なんだかすごい親密で優しいよね。もちろん『ノルウェイの森』の僕と直子の関係と、家福と高槻の関係は、かたや恋仲かたや不倫の被害者と当事者という、まったく違う関係性なんだ。だけど、相手の発言に対して主人公が聞き直すという同じ状況でも、寄り添い方が全然違くて、醸し出てる雰囲気が正反対だよね。
『ドライブ・マイ・カー』では、「ざわざわ」と音が聞こえてきそうな不穏な空気が流れていて、家福が突然殴りかかっていきそうな怖さがあるんだ。村上作品には珍しい居心地の悪さ、悪いことが起きてしまいそうな予感があるんだよね。読んでいて緊張する。
これは主人公が妻に不倫をされているという設定、そしてそこから生じる怒りの感情が描かれているからなんだ。村上春樹の作品は喜怒哀楽すべてクールに描いていて、あまり動じることがないけれど、この小説ではしっかりと怒りの感情が伝わってくるんだ。それでもまだまだクールに怒ってるけどね。」