『芋虫』江戸川乱歩 「読むのやめたくなるよ」と、脅して
このnoteは、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語る設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。
『芋虫』江戸川乱歩
【江戸川乱歩を語る上でのポイント】
① 「乱歩」と呼ぶ
② コナンの由来だよと掴む
③ 耽美主義を解説する
の3点です。
①に関して、通の人がモノの名称を省略するのはどの分野でも適用されます。文学でもしかり。「乱歩」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。
②に関して、コナンは大人気なのでコナンの名を出せば傾聴してくれます。
③に関して、江戸川乱歩は耽美派の作家でエログロを得意としてます。耽美派とか白樺派とか芸術思潮をサラッと語るとカッコいいです。
○以下会話
■読むのやめたくなる凄み
「異様な小説か。そうだな、そしたら江戸川乱歩の『芋虫』がおすすめかな。『芋虫』は人間の醜さが描かれている小説で、江戸川乱歩を代表する作品なんだ。かなり衝撃的な内容で、一回読んだら忘れられない凄みがあるよ。
■中尉と時子の生活
『芋虫』は、戦争で負傷した須永中尉と、その妻の時子の話なんだ。中尉は戦争で、両手両足、聴覚、味覚を失って、視覚と触覚しかない体になっていたんだ。中尉は、筆を口にくわえてヨレヨレの文字を書くのと、目で感情を示すのが、唯一の外部世界との繋がりだったんだ。そんな「人間だかなんだかわからない」夫を、時子が毎日看病する、というところから物語が始まるんだ。
元々軍人だった中尉は規律と自制心があったから、四肢を失った初期の頃は虚空を見つめて考え事をして日々を過ごしていたんだよ。戦前の日本だから中尉も亭主関白で、時子が中尉を置いて少しの間外出してると、口に筆をくわえて「ドコニイタ 3ジカン」と書いて、時子を怒ったんだ。
だけど中尉は一人では何もできないことの反動から、段々と欲望に任せて行動するようになるんだよ。
ガツガツと食べ物を胃袋に入れて、一通り満足したら時子の体をむさぼって朝まで求め続けるんだ。時子は最初はなんだか恐ろしくて嫌な感じがしていたんだけど、時子自身も段々と「肉欲の餓鬼」と成り果てていくんだ。
もともと二人の家には、何か援助を求められるのを避けて、あるいは中尉を恐れて、近所の人も親戚も全く近寄らなかったんだ。そんな田舎の一軒家にいる将来への望みも失った男女にとって、欲望に従うことがほとんど生活の全てだったんだ。その姿は、
動物園の檻の中で一生を暮らす二匹のけだもののよう
だったんだ。
そんな生活を続けると、元来泣き虫なくせに少し意地悪なところがある時子は、夫の中尉を、「思うがままにもてあそぶことができる一個の大きなおもちゃ」として扱うようになってくるんだ。
時子は、口もきけず、耳も聞こえず、自由に動くことのできない無力な生き物を、相手の意に逆らって責め続けることが、この上なく楽しく感じるんだよ。
中尉は元来亭主関白だから、時子が自分をもてあそぶことが屈辱だったんだ。だから唯一の外部との接触器官の目で、ギロっと時子を威嚇するんだよ。その目に時子は僅かにビクッとするんだ。だけど、肝心の恫喝する声も、抑えつける腕力もないことを思い出すと、その目を無視してさらに責め続けて病的な興奮をするんだよ。
そんな生活を送っていたある日、時子が目を覚ますと、中尉が天井を見つめて何か考え事をしていたんだ。時子は中尉の上に覆いかぶさって、肩を激しく揺さぶったんだ。中尉は考え事を遮られたことと乱暴に扱われたことに怒り、時子を睨み付けるんだ。
「怒ったの?なんだい、その目」と言って、時子は中尉の目を無視して体をむさぼり始めるんだよ。いつもならすぐ体を任せる中尉も、その時ばかりは怒っているのか抵抗するんだ。
「怒ったってだめよ。あんたは、私の思うままなんだもの」と、体を求め続けるんだけど、やっぱり中尉は刺すような視線で時子を見るんだよ。
時子は、中尉が純粋な目でギロっと訴えてくるのが恐ろしくなって、「なんだいこんな目」と言って中尉の目を手で覆ったんだよ。だけど、まだ見つめられている気がして、「なんだい、なんだい」と言って半ば狂ってギュッと目を抑え続けたんだ。
どのくらいの時間そうしていたのか、ハッとして手を離すと、中尉の目から赤い血が流れていたんだよ。時子は、中尉の唯一の外部との接点だった目を潰してしまったんだ。
時子は我に返って、慌てて中尉を病院に連れて行ったんだ。だけど視力が回復することはなく、中尉は完全に一人闇の中に閉じ込められてしまったんだよ。
時子は申し訳ない気持ちから、泣きながら「ユルシテ」と、中尉の胸に指で書き続けたんだ。目も耳も口も効けない中尉だけど、うなずくなりニッコリ笑うなり、何かしら反応を示すことはできるはずなのに、中尉は身動きせず表情も変えないんだよ。息づかいから眠っているようには思えなくて、皮膚に書いた文字を理解する力が無くなったのか、怒って沈黙を続けているのか分からなかったんだ。
時子は、そこにある静止した暖かい物質をみていると、ワナワナとかつて経験したことのない恐ろしさを覚えてくるんだよ。
中尉は一個の生き物で、肝臓も胃袋も持っているのに、何も見ることができない。音も聞けない、口もきけない、何かを掴むことも、立ち上がることもできないんだ。「助けてくれ」と声のかぎりに叫びたいだろうに、何もできずにじっとしている。
時子は、取り返しのつかないことをしてしまった罪の意識からワッと泣き出すんだ。そしてちゃんとした人間の姿の人を見たくて、家を飛び出したんだ。
時子は、近所に住んでる中尉のかつての上官の家に行って、自分が中尉にやったことを白状したんだ。話を聞いた上官は「取り敢えずお見舞いに行こう」と言って時子と中尉の家にいくんだ。だけど家の中には中尉の姿がないんだよ。時子が居間に置いてある一枚の紙に気がつくと、そこにはヨレヨレの字で「ユルス」と書いてあるんだ。時子はハッとして、庭の井戸を見ると、ズルズルと地面をはう音がして、すぐに「トボン」と鈍い水の音が聞こえたんだ。
これで終わり。すごい内容でしょ。
■「芋虫」はどちらか
この小説のタイトルの「芋虫」は、両手両足がなくて、五感もほとんどない須永中尉を指している言葉だよね。だけど読み進めていくと、妻の時子も「芋虫」なんじゃないかって思えてくるんだよ。
まず、小説の冒頭に時子が「めっきり脂ぎって<中略>デブデブ肥え太」っていると書いてるんだ。そして時子は「世間から切り離された」田舎の一軒家で、夫の肉体を求めて動物のように欲望を満たしていたんだよ。夫は動けないから仕方だないけれど、五体満足の時子も、同じ場所に居続けて、夫にいつまでも執着しているんだ。まさに時子は、夫の汁を吸う芋虫なんだ。
■『芋虫』の社会的意義
『芋虫』には、「介護」とか「重度障害者」とか、令和のいま社会問題になってるワードがたくさん出てくるんだ。そこからこの小説と「重度障害者への差別意識」とか「老老介護問題」を結び付けて考える人もいると思うんだ。確かに現代の問題と文学をリンクして考察するのは大切で、文学を発展させるのに必要な作業だよね。だけど、『芋虫』に関しては社会問題と切り離して娯楽として楽しんでいいと思うんだ。
というのも『芋虫』が発表された当時は第二次世界大戦中で、作中に反戦的な表現があったから、政府に検閲されて「禁書」とされて多くの文言が黒く塗り潰されてしまったんだ。一方、戦争に反対する左翼からは称賛されて「このような戦争の悲惨を描いた小説をもっと書いてほしい」って言われたんだ。だけど肝心の乱歩はどちらの主張にも興味を示さなかったんだよ。
つまり、あくまで乱歩が描きたかったのは「人間の普遍的な中身」なんだ。戦争とか社会問題とか、「現代」社会の問題ではなくて、エゴとか醜さとかの「太古から抱える人間自身の問題」を描きたかったんだよ。だから僕らは、「ゾクゾクするな」とか「人間って怖いな」って純粋に楽しんでいいんだよ。
乱歩は『人間椅子』とか狂った変態を描くのがすごい上手だから、ぜひ読んでみて。」